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スペイン統治時代の17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築された。以後、ブルボン家を始めとするナポリ王の宮殿として使用された。




実際、私たちはフニコラーレに時間を取られて、夕暮れが始まっている閉館30分前に着いた。翌日は定休日なのでもう参観する時間はないと途方に暮れていたが、駄目元でいまから参観できるか片言のイタリア語で聞いてみた。 「明日、行く、ローマ、今日、見たい、いい?」
警備員は 「だったら見てけ!はやく!あと30分で閉まるよ!」
とかなり親切にして招き入れてくれた。受付のお姉さんも閉館手続きを済ませて、帰宅する準備をしていたのか、二人分の入場チケットをただでくれた。いい加減な管理だといえば聞こえが悪いが、融通が利くとでもいっておくべきか。
入口


王宮は世界遺産に登録されており、荘厳な建築が見るものを圧倒する。ナポレオンの座った椅子やトルコ人の侵攻、社交界のダンスフロア、ロココ調の壁装飾など、ごてごて美術が当時の華やかさを彷彿とさせる。





王宮の側はすぐ市民の広場で、民宿やレストランがある。自分の家から歩いて3分で着く世界遺産というのも素晴らしい。それもかつての栄華を保存している王宮ともなれば、ナポリ市民の誇りなのではないだろうか。イタリア北部から田舎者と称されたときのナポリ人は、きっと王宮を盾に己のアイデンティティを支えるのではなかろうかと。
撮影歓迎?
イタリアの博物館は、カメラ撮影に関しては何も言ってこない。撮影禁止のマークすらない。ドイツとは正反対だ。警備員はいるのだが、観光客が写真を撮っていても一向に気にする様子がない。この王宮でも写真は撮り放題だった。
次回はやっとドイツ編

ポンペイからナポリに帰りその日の午後、チェントラーレ線でヴォメロの丘へ。
騒がしいトレド通り、王宮側のフニコラーレ駅から出発。地元の住人たちに混ざっていく。
トレド通り

フニコラーレ駅前

フニコラーレ駅構内

乗り降りを守らないのは上海ではよくありますが。

ヴォメロの丘・サン・テルモ城
サン・テルモ城(Catle de Sant'Elmo)はナポリの町を見下ろすヴェメロの丘の上に建つ。アンジュ家により1275年頃、初期の城郭が建築され、その後、アンジュ家により拡張された。16世紀には、スペイン人がナポリを支配するところになり、星型の近代城郭へと改修された。
頂上に到着すると、そこはまた丘の麓の街とはひと味違った様相。人々がゆったりとしているし、ゴミゴミしていないし、静かだ。古い建物はあるものの大部分は歴史建築とは無縁の住宅街であった。
なるほど、丘の上は新興住宅地で麓の街と繋ぐためのフニコラーレか。



てっきり観光地なのかと思いきや、偶然見つけた住宅街でナポリではめずらしい静寂を味わった。丘の見晴し台にいくため道案内の地図を見ていたらイタリア語で指差し説明してくれるおばあちゃんや、おなじく展望台に向かうようなバイク二人乗りのカップル、和む張り紙や、道の壁には小さな十字架と花。


日は沈みかけており、この静かな住宅街。ナポリに住むならここぐらいがいい。
お城跡の展望台は夕方の6時で閉まるが、ギリギリ間に合う。360°展望できる隠れ観光スポットではないでしょうか。ナポリのすべてが見えます。その割には、ほとんど観光客がおりませんでした。





そこからサンタルチア港を望む。

きっとここを訪れる人は頭の中に「あの曲」が流れていることでしょう。ナポリに来て天気がよかったら絶対来ることをお勧めしたいスポットです。
ポンペイ(ラテン語:Pompeii、イタリア語:Pompei)は、1世紀までナポリ近郊にあった都市国家。ヴェスヴィオ火山の大噴火により、79年に壊滅した。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。その遺跡は世界遺産になっている。
末期はローマの属国となり、ローマ人の余暇地として栄えた。最盛期の人口は約2万人といわれる。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の大多数はローマなどに逃げたが、助からなかった市民も多くいた。
町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きは、当時のラテン語をそのまま伝える。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。ポンペイは確かに当時とても活気のある都市だった。
爆発時、町の人口は1万人弱で、ローマ人(ローマ市の住民)の別荘も多くあり、また、彼ら向けのサービスも多くあった。Macellum(大きな食物市場)、Pistrinum(製粉所)、Thermopolia(冷たいものや熱いものなどさまざまな飲料を提供したバー)、cauporioe(小さなレストラン)、円形劇場など。
また現代のポンペイは人口25,751人のイタリア共和国カンパニア州ナポリ県のコムーネの一つであり、その中心部は古代遺跡とは少し離れている。
妻がかつてローマ文学を専攻していたこともありポンペイを訪れることに。
基本的に歴史的に保存が必要な貴重な文物はすべてナポリ市内の博物館に移管されているとのこと。ここで見れるものは当時の街の建築及び景観そして生活様式です。またの天気に恵まれ青い空のもと、ポンペイの街を散策。
ベスヴィオ火山を望む

アテナ神殿跡

劇場跡

広場跡

闘技場跡


大浴場跡(男湯と女湯に分かれていた)

釜焼き(パン屋?)

見た目はグロテスクだが、実際は火山灰に埋まった人の体が横たわっていた空間が空洞になっており、そこに石膏を流し込み型取りした人物。当時の火山灰が降ってきたときのシーンを彷彿とさせる。自分の脳内で2000年前の出来事を想像するスイッチを刺激する展示だ。

修学旅行?

また、ポンペイ遺跡敷地内で葡萄畑があった。説明書きによると古代のポンペイで葡萄を栽培していたことを再現するための実験場兼展示だそうだ。葡萄の品種は古代のものかは知らないが、この展示も想像するよう刺激する憎い演出だ。こちらの葡萄生産会社はプレートにも描かれている、興味のある方はこちらへ



こちらは闘技場跡の入り口にある標識。ラテン語らしいが読めない。

また、ポンペイの旧邸宅内を参観している時、わたしが床のモザイク模様をやたらに撮影していたら、あるイギリス人の年配の男性から声をかけられた。かれは敷地内のフレスコ画を指差し、そのフレスコ画の由来について、いろいろと説明をしてくれた。しばらくすると、そのイギリス人男性の奥さんが来て、ギリシア神話に由来するものだという解説を付け加えてくれた。このイギリス人老夫妻の男性は学者風だが、年齢からなのか、言葉がなかなか出てこないので、奥さんが言い換えるように毎回同じ内容を丁寧に説明してくれるのだった。
鏡に映っている自分に惚れ込む男の絵。
左扉上

このフレスコ画の男の名前はナルキッソス(Narcissos)は、ギリシア神話に登場する美少年の名。ある日ナルキッソスが水面を見ると、中に美しい美少年がいた。もちろんそれはナルキッソス本人だった。ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死んだ。ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシスと呼ぶ。また、ナルシ(シ)スト(ナルシシズム)という語の語源でもある。(参照)
私はこの老夫婦にローマのポンペイで、なぜギリシア神話のフレスコ画があるのか、質問してみた。
その老人は「ローマの誇るものはエンジニアリングであって、哲学や文化の分野に於いてはギリシア文明のコピーにすぎない。古代ローマの人々はあいかわらずギリシア文明に憧れていた。」とのこと。うちの妻もその点はわかっていたらしく、よく大学教授がローマ文学を説明するにあたり、まずギリシア文学から学ばないと始まらない、と言っていたそうな。それが、ポンペイにギリシア神話のフレスコ画がある所以である。
たしかにローマの建築は秀逸だが、題材はギリシア神話である。水道橋をつくり都市のインフラを整えたのも卓越した建築技術だ。ギリシアは文系で、ローマは理系という感じか。こういう事前知識があると、旅は更に面白くなるものだ。
ナポリ ソレントから帰る

およそ30分ほどで見えてくる。




接岸。


このMETROMAREは20分に一本の割合で出ているので、すごく便利。ソレントの他ナポリやアマルフィなどにも定期便が出ているし、船上の風も気持ちいい。この地区での足は「船」に限る。
ソレントの港は断崖の下にあり、街はその断崖を登らねばならない。歩いても登れるが、1 EUROで運行しているバスに乗れる。
断崖上はヴィットリアホテル 断崖上下を往来するホテル専用のエレベーターがある。

バス

左のボックスで切符(ビリエッティ)を購入。この頃になると妻もイタリア語を駆使してチケットを買えるようになる。頼もしい限りだ。
断崖沿いに登る

断崖上から

街




街はきれいで落ち着いた雰囲気。馬車もあるし、店の店員が穏やか。やはり柑橘系の果物と多く売られているのと、なぜか唐辛子が。ペペロンチーノのためにつかうのか?


雑貨店のオリーブ


革製品も売っていたがそれがソレントの名産らしい。牛革だったのだがどこから牛が来るのか?
ちなみに牛肉をイタリア語で「manzo」というのだが、よくメニューで見かけた。その牛の皮がここで加工されていると推測するのは...安直か。
今回の旅で遭遇した新婚カップル3組目。

時間の流れはナポリよりも更にゆるやかだ。ナポリで働いている人だったら、ここで週末2連泊するのも悪くはない。船でも電車でも往来は可能だが、私たちはナポリへ帰る手段として電車を選んだ。



一時間に1本の超ローカル線。
地元の不良少年達、アフリカ系の移民たち、そしてポンペイ駅を通過する頃にはすっかり日も沈んだ各駅停車でめぐるソレントのしめくくり。とくに見所はないのだが、アジアにいない、しかも観光地ではないことを意識した時間であり、なぜか鮮明に覚えている。
案外こういうなんでもない時間の方が印象深いものだ。


1時間かかってナポリへ。ナポリ駅でもやっぱり野良犬発見。犬ばかりとっているのは、犬がたくさんいるからなのです。


太陽がまぶしい...

カプリ島には二つの頂上があるが、フニコラーレで気軽に登れる方(上写真左嶺)へ。

このフニコラーレ(要は登山用ケーブルカー)、原作はナポリ近郊のヴェスヴィオス火山にできたフニコラーレの宣伝ソングとして作られたのが由来。フニクリ・フニクラと言う歌詞だが、日本では全く原作とは関係のない「鬼のパンツはいいパンツ〜」と言う歌詞でおなじみだ。
原作の歌詞の内容など詳しくはこちら
iPhotoのスライドショーでイタリア写真を眺めるとき、テーマソングとして流してます。実はパヴァロッティが歌っているバージョンをローマで買ってしまった自分..頭の中で「フニクリ・フニクラ」が念仏のように廻っています。
青い空と海、そして白い壁



絶壁

この地中海の代名詞のような文句にはずっとギリシアをイメージしていたが、ここカプリでもそれが当てはまる。地中海性気候はもともと降水量が少ない場所で、水はけのよい土地、しかも断崖絶壁ばかりのこのカプリ島では、レモンは採れるが正直...他に何もない。
山頂部街

路地

だからといって貧乏な地区というわけではなく、昔はナポリ王がこの島に住みついてしまったとか、いまでは欧州及び世界各国の富豪たちが別荘を建て「冬にバカンス」を過ごすところとして利用している。観光産業以外にも、採れたレモンをリキュールとして売ったり、香水ラボトリーを設置し、観光客に売ったりしている。値段もナポリより高い。着いた当初「ここで家かって住みたいね」と妻と話していたことも、今思えばかなり身分不相応なことだ。
別荘兼ホテル

香水ラボトリー

道路標識

犬 (よく犬が放し飼いにされているのも、ナポリ圏たる所以か)

カプリ島は非常にお勧めです。とくに地中海の風景に憧れる方には、2−3泊するのもいいでしょう。麓の海岸で泳いだり、ボートで島一周探索することもできます。

ポンペイへと続く
ナポリ いざカプリ島へ
乗る船はこちら。

ナポリ港

もともと、観光客がたくさん行くような場所は好まないたちなのだが、それだけの人々を魅了するにはそれなりのものがあるわけで、青の洞窟を目指すことに。洞窟へはまずカプリ島へ着いてすぐ別の小型のボートに乗り込む。
カプリ島波止場

METRO MARE

いざ出発

青の洞窟へ

青の洞窟へはカプリ島の波止場から更に15分ほど、洞窟の入り口はちょうど駅の改札をくぐるぐらいの大きさ。(実際の改札をくぐったことはありませんが...)そこによって入るためにはさらに超小型手漕ぎボートに乗り換えなければならない。ここでまた入洞料を取られる。
また、洞窟から出てきた際、手漕ぎボートから小型ボートに戻るのだが、その際にチップを請求してくる。2 EUROをコインで渡したらかなり不満顔なので、4 EUROほど渡した。何も知らない日本人は20 EURO (約200元)すら渡しかねない。おそらく日本人がカモられるのはこの景勝地だけではないが、チップを渡さないと小型ボートに戻してくれないという「暴力バー」のような...
これには同船したアメリカ人夫妻も閉口していた。再度ナポリをイタリアの基準にしてはならない、と確信。
順番待ち

いざ洞窟内へ

洞窟内へ差し込む太陽光が水面を青に映すので、午後や曇りの場合ここまで日が差し込んでこない。今回はちょうど正午で。



伝統的な欧州の街並は教会以上の高さをもつ建築の存在を許さないなかで、どうかいくぐったのかナポリで唯一高層のホテル。朝焼がきれいで、背面の丘もサンタルチア港も眺望できる。


最悪のナポリ・タクシー
駅前から乗ったタクシーはひどい。一回目は故意にメーターを下ろさないで15 EUROほどふっかけられた。二回目はメーターを倒しても下車時に細工したメーターで5 EUROほどふっかけられた。3日間の滞在中タクシーに乗ったのは2回だけ。
しかし、一般ドライバーたちは歩行者には道を譲るし、信号のない場所でも進んで停車し歩行者に信号を渡らせる場面に何度も出くわした。運転手は嫌々ではなく「渡りなよ」と余裕の目配せをしてくるので、この点は中国よりもまたむしろ日本よりも快い感じはある。
また昼間、ナポリ中央駅からサンタルチア港までの道は、昼間でも渋滞がひどく汚いが、夜中は更にひどい。各商店のシャッターも降り、スプレーで描かれた落書きが目立つ、野良犬もいるし照明も暗い。ゴミは集積されても何日も片付けられていない。



しかし人々は陽気
もちろん、すべての人が殺伐としているわけではない。オレンジを目の前で搾ってくれるおばさんも、バールの店員もやさしい。夜八時頃ではまだ賑やかな街で、綿菓子やらアイス売りやら街角オーケストラなどが見られた。娯楽がないからなのだろうか?
カフェ

アイス屋

綿菓子屋

ミニ路上オーケストラ

あの人もナポリ出身
日本で活躍するイタリア人代表、パンツェッタ・ジローラモ氏はナポリ出身。(パンツェッタが姓、ジローラモが名)いまはちょい悪親父のモデルとして活躍しているが、彼を見たイタリア人が、あれがイタリア人を代表していると思わないでくれ、といったとか。
初日、ローマ銀行に外貨両替に行った際、ロビーにいた職員が近づいてきて、いきなり握手を求めてきたので、握手してしまった。「何かようかい、兄弟」みたいな感じでちょっと退いたが、あう人あう人に握手をしている彼を見て、これが南イタリアか、と。
banck di roma

見知らぬ初対面の相手でも速効で仲よくする癖がいかにも怪しいが、仲よくなればとことん優しいところは、中国人(特に北方)にも通じる部分がある。ファミリー感覚か。対人関係では距離を置くイギリス人やドイツ人、もちろん日本人が慣れるかは疑問。
野良犬と昼寝
ナポリの王宮そばの広場についたのだが、子供がサッカーをしたり、家族連れで散歩しているなかに野良犬がごろごろ。狂犬病が心配。この街は一体のんびりしているのか、はたまた危険なのか、不思議な街だった。



しかし、ナポリは独特の歴史と、人々、そして文化を持っている。これを現代風に換えることは難しいだろうし、人々もそれを望まないかもしれない。たしかに、「ナポリを見て死ね」と言われるのは風光明媚なことについてであり、街や人がイタリアの代名詞になってはならないと感じた。ナポリファンには申し訳ないが。

途中古代ローマの水道橋が車窓から見えました。

ごとごと揺られること30分、フラスカティ (Frascati) という町に着きました。街というより町です。町について、あまりの人気のなさに少し不安に。


人がいるのだろうか?と訝りながら道沿いに上へ上へと上って行くと、結構拓けた広場に到着。日曜日だったこともあり、教会で集会が終わったあとでもありました。地元の人達の憩いの場でした。


さて、なぜこの町に来ることになったのか。実は伝え聞いたところによると、フラスカティにはなんと「ワイン」が湧出る噴水があるとのこと。さっそく噴水を調べると....残念、普通の水でした。


ただ、この町で入ったレストランが、今回の旅行中で最高の料理を提供してくれました。
また、同席したドイツ人の夫妻なのですが、フラスカティの魅力は「イタリアの気候」と「イタリアの料理」、そして「ローマにはない静寂」だそうです。
歴代の教皇が避暑地として訪れたことも納得。
また白ワインが有名とのことで頂きました、ハーフボトルをデキャンタに移して。
このレストランだけでもまた訪れたいですね。

そうそう、カラオケ好きの親父が下手なギターを弾いてきました。ドイツ人夫妻によると、このレストランにはいつも来て、ヘタなのにみんなの前で弾きたがる物好きな人だそうです。

同じ日の午後にはさらに電車でナポリへ
続く
イタリアもドイツも水道水は普通に飲めるのだが、何となく味があるのでやはり外の水を買う。またレストランでは必ず飲み物を注文する。候補としては、一番安いのがミネラルウォーター、その次がジュースかビール、ワインは高い。昼間っからアルコールを飲める時以外は水がお勧め。
その水(acqua minerale)か炭酸水(gassata)を選択することになるが、私は断然炭酸水がいい。ただ、この炭酸水はビールやコーラほど気泡が強いわけでもなく味もついていないので、初めて飲む人は何ともいいようがない感覚だろう。(ちゃんとしたのは結構炭酸がきつい)
リストランテによっては750mlから売っているが、なにせ一見さんばかりの観光都市のご多分に漏れず、「1500mlの水しかない」とあるくせに無理矢理売りつけてくる。また、あやしい販売車のGELATTERIAやTABACCHIでは「水道水に炭酸足して詰め替えてんじゃないの?」と思うくらい、へなちょこパンチの炭酸水を売りつけてくることもあるので注意。



また、街角にちょくちょくある水も普通に冷たくて飲めるので、お腹壊すことに恐れない人は試してみるのもよし。間違っても噴水の水は飲まないように。

パスタは手で食べる?
始めはそうだった、と。物好きしかいかなそうな 「国立パスタ博物館」に行った際、展示されている13世紀の絵には、茹であがったばかりのパスタを手でつかみあげ、口へ落とし込む男-かなりみすぼらしいボロ服の農夫-が描かれていた。そんな絵ばかりだ。もちろん、いまのイタリア人はいまはフォークを使って食べます。スプーンは使いません。
リンク先にてそこでそれらの絵を閲覧できる。(bookshop>Images)主題としては心くすぐられるテーマの博物館だが、日本の展示のオタクぶりに比べるとこの国立パスタ博物館は、残念ながら期待ほどではなかった。
まず受付がパスタを食い過ぎ?のようなおばさまがイタリアで初めての無愛想ぶりで、入場料が10 EURO。これはミケランジェロの作品が展示されているヴァチカン美術館と同じだ。もう博物館とは名ばかりの展示館に寄付するつもりでないとやるせないだろう。そして、おもむろにMP3プレーヤーを渡されて、なぜか関西弁とも違うちょっと訛った女性による日本語のナレーションがついてくる。45分ほど。
さて、イタリア人がパスタ好きなのはよくわかった。日本人のうどんやそばといった感覚だろう。それとパスタ自体はジェノバやナポリで13世紀に確立されたそうだが、それ以降形状の改良、多様化、また産業革命期のパスタ製造機の機械化、自動化などわかる。きっと、パスタの普及とともに人口の増加とかグラフにできんだろうなぁ。日本だったら実演も交えてパスタ目の前で作らせて、昔のイタリア人みたいにできたてのパスタを手で食べるみたいな体験コース用意したりするだろう。
本場のパスタは日本より旨いか?
そうとも言えない。
下のカルボナーラは一件旨そうだが、使っている肉が「いわゆる」ベーコンとは若干違って、本場の酒漬け薫製肉をやや厚切りにしたものを使用している。高級そうで本場の雰囲気なのだが正直旨くない。
卵を溶くときに牛乳とクリームを入れるはずなのだが、クリームが入ってないようなのでソースに伸びがない。私が食べたカルボナーラとボンゴレは、日本の方が旨かった。茹で加減は上手。当然、店により千差万別だが現地人が入っているお店は総じて外れない、というのは定番だが、値段に応じて旨いかというとそうでもない。
カルボナーラ

最初に入った総菜屋風PIZZERIAは4種類ぐらい手帳サイズのピザを購入しても5EURO(800円)程度だったが、かなり美味しかった。
PIZERRIA

レストランのピザは最低でも7EURO(1200円)はするが、釜焼きであり、当然旨い。
PIZZA OSTERIAにて

肉系を頼むと12EURO(2000円)とられるが、お世辞にも褒めれないただ焼き肉が出てくることもある。以下はナポリの4ツ星で頼んだ牛肉スライスのタルタルソース。これは旨い。
RISTORANTEにて

牛肉のカルパッチョが好きなのだが、これも値段は同じでも店の格で盛りつけも、使っている肉も違う。これもナポリの店、9 EURO。
牛肉のカルパッチョ RISTORANTEにて

焼き茄子サラダ 7 EURO(1200円)OSTERIAにて


サラダには後方左に見える、ワインビネガーとオリーブオイルをざっと1-2周分かける。大体のイタリア料理店では自分でやる。上海のグルメブロガーが上海のイタリア料理店で、同じものを見た時「手抜きだ」と言っていたが、まあ勘違いです。
欧州人の食費感覚
イタリアの食費は高い。欧州が総じてそうだが、どこのレストランでも各食事で軽く100元は越える。(10 EURO)上海にいる欧州人がよく100元もするレストランにしょっちゅう利用するのも、イタリアやドイツで消費するのと比べればその食費に対する消費感覚もうなずける。
上海の肉まんなんてゴミみたいに安いだろうし、割としっかり内装できれいな食器を用いたレストランでもやはり安い。日本では、財布状況が厳しいなら、コンビニにいけば500円で事足りるだろうが、イタリアの駅前パニーニ屋のお持ち帰りパニーニでさえ一つ3 EURO だ。(500円)
ローマテルミニ駅地下一階「Mr. Panino」


パニーニはルフトハンザのドイツーローマ間の機内食でも出てものでもうまい。
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