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お土産
− ドイツ白とイタリア赤
− ビュルツブルグの啄木鳥くん
− ビュルツブルグのクリスマスベル
− イタリアのビネガー、オリーブオイル入れ
− イタリアのピノキオ
− パバロッティのCD
− その他諸々
中でも
ビュルツブルグの啄木鳥くんは傑作。

こちらのお店で、ひと目惚れ即購入。
モヒカンの赤い髪をを後ろに引っ張ると、バネの反動で柱の棒を突つきます。その時、啄木鳥を棒に繋げている木の穴が棒に対して直角になった一瞬、啄木鳥くんがほんの数ミリだけ落下します。

そうやって、軽快にバネの反動を繰り返すたびに、啄木鳥くんは数ミリまた数ミリと下がっていきます。髪の振り方がかなりファンキーで、大人なドイツ人が開発したおもちゃとは思えません。
そんな啄木鳥のシュールなショット。

妻はかならず地元のスーパーを探検、格安のワインやらパスタやら、現地の物価をチェック。
そして、現地スーパーで買ったバジルペーストとパスタで満足。

− ドイツ白とイタリア赤
− ビュルツブルグの啄木鳥くん
− ビュルツブルグのクリスマスベル
− イタリアのビネガー、オリーブオイル入れ
− イタリアのピノキオ
− パバロッティのCD
− その他諸々
中でも
ビュルツブルグの啄木鳥くんは傑作。

こちらのお店で、ひと目惚れ即購入。
モヒカンの赤い髪をを後ろに引っ張ると、バネの反動で柱の棒を突つきます。その時、啄木鳥を棒に繋げている木の穴が棒に対して直角になった一瞬、啄木鳥くんがほんの数ミリだけ落下します。

そうやって、軽快にバネの反動を繰り返すたびに、啄木鳥くんは数ミリまた数ミリと下がっていきます。髪の振り方がかなりファンキーで、大人なドイツ人が開発したおもちゃとは思えません。
そんな啄木鳥のシュールなショット。

妻はかならず地元のスーパーを探検、格安のワインやらパスタやら、現地の物価をチェック。
そして、現地スーパーで買ったバジルペーストとパスタで満足。

フランクフルト レーマー広場
フランクフルト レーマー広場
フランクフルト駅から徒歩で20分ほどで到着。当日の午後帰国のため、午前中だけさらっと観光してきました。妻曰く、フランクフルトに来る出張者を必ず連れてくる場所だったそうです。
中国と比較しては大きさが違いすぎてしまいますが、上海の人民広場みたいな位置づけでしょう。フランクフルトにしては人が多いです。(ドイツレベルでの人が多いです、念のため)


広場にはビア樽テーブルでビールを飲む方、外はけっこう寒い...
ミュンヘンでもオクトバフェストがあったのですが、鉄道のストもあるしビールのために片道3時間かけてもなぁ、とあきらめました。その代わり空港で初めてドイツビールを。案の定、上海でもドイツ料理やビールは楽しめるので、たいした感動はありませんでした。それもそれで悔しい...
何でも経験とはいいますが、経験しすぎるのも事象に対して鈍感になったり、どうでもいいことにわざわざ感動をこしらえたり...(旅行中なのに犬の写真ばっかといわれましたし)

このトラムも静かでいいですね。っとのんびり妻が用事を足しているところ、待ちぼうけしていたのですが、隣から中国語をはなす若い学生風女性たち。全部聞こえているよー。
また駅に戻る際、中国語で「銀聯カード利用可」(中国のデビットカード)と掲げている土産物屋があったのですが、どう見ても怪しい店員4人。それこそ蛇頭をつかって密入国してきたぽいやつら。あー、やだやだ。しかも、彼らのしゃべっている中国語わかるし、自分...

マイン川沿いに歩くと上海のバンドほどではないものの、教会が見えたり、自然の白鳥が足下までよって来たり、河の反対岸ではフリーマーケットがあったり。
今回の旅行はこうして終わりました。
青臭いほど若かった頃は、世界一周旅行している様々な人達のホームページを覗いたり、感動をむさぼりたかった感がありますが、以前ほど旅に対して感動がありません。淡白になった?いまニューヨークに行っても、多分そこそこの感動しかないかもしれません。
それよりも、ピアノで楽曲が弾けるようになったとか、作った料理がうまかったとか、そんなちいさなところで感動している自分が、より家庭的になってきたのかなぁとも思えてきます。そういった心の変化を経ているせいもあり、今回の旅のお気に入りは「ヴュルツブルグ」。都市として自然と歴史、文化、食事、全てバランスの取れた成熟した街でした。
「ナポリ」はなんでもあり、テンションあげて盛り上がろう!という街。20代できていたら、スッゲー!ってはしゃいでいたと思いますがはっきりいってもういいです。中国と大して変わりません。
「カプリ島」はナポリ圏ですが別格でいいです。ナポリを見て死ねというより、カプリを見て死ねと言ってもいいです。これは若い頃は「けっ、観光地かよ。」みたいな態度で廻っていたかもしれません。
写真中心で大した考察もなくお粗末でしたが、どなたかまた私たちのルートを廻るかもしれない方がたまたまいて、たまたまググってきてくれたときにでも参考にしていただければ幸いです。
フランクフルト駅から徒歩で20分ほどで到着。当日の午後帰国のため、午前中だけさらっと観光してきました。妻曰く、フランクフルトに来る出張者を必ず連れてくる場所だったそうです。
中国と比較しては大きさが違いすぎてしまいますが、上海の人民広場みたいな位置づけでしょう。フランクフルトにしては人が多いです。(ドイツレベルでの人が多いです、念のため)


広場にはビア樽テーブルでビールを飲む方、外はけっこう寒い...
ミュンヘンでもオクトバフェストがあったのですが、鉄道のストもあるしビールのために片道3時間かけてもなぁ、とあきらめました。その代わり空港で初めてドイツビールを。案の定、上海でもドイツ料理やビールは楽しめるので、たいした感動はありませんでした。それもそれで悔しい...
何でも経験とはいいますが、経験しすぎるのも事象に対して鈍感になったり、どうでもいいことにわざわざ感動をこしらえたり...(旅行中なのに犬の写真ばっかといわれましたし)

このトラムも静かでいいですね。っとのんびり妻が用事を足しているところ、待ちぼうけしていたのですが、隣から中国語をはなす若い学生風女性たち。全部聞こえているよー。
また駅に戻る際、中国語で「銀聯カード利用可」(中国のデビットカード)と掲げている土産物屋があったのですが、どう見ても怪しい店員4人。それこそ蛇頭をつかって密入国してきたぽいやつら。あー、やだやだ。しかも、彼らのしゃべっている中国語わかるし、自分...

マイン川沿いに歩くと上海のバンドほどではないものの、教会が見えたり、自然の白鳥が足下までよって来たり、河の反対岸ではフリーマーケットがあったり。
今回の旅行はこうして終わりました。
青臭いほど若かった頃は、世界一周旅行している様々な人達のホームページを覗いたり、感動をむさぼりたかった感がありますが、以前ほど旅に対して感動がありません。淡白になった?いまニューヨークに行っても、多分そこそこの感動しかないかもしれません。
それよりも、ピアノで楽曲が弾けるようになったとか、作った料理がうまかったとか、そんなちいさなところで感動している自分が、より家庭的になってきたのかなぁとも思えてきます。そういった心の変化を経ているせいもあり、今回の旅のお気に入りは「ヴュルツブルグ」。都市として自然と歴史、文化、食事、全てバランスの取れた成熟した街でした。
「ナポリ」はなんでもあり、テンションあげて盛り上がろう!という街。20代できていたら、スッゲー!ってはしゃいでいたと思いますがはっきりいってもういいです。中国と大して変わりません。
「カプリ島」はナポリ圏ですが別格でいいです。ナポリを見て死ねというより、カプリを見て死ねと言ってもいいです。これは若い頃は「けっ、観光地かよ。」みたいな態度で廻っていたかもしれません。
写真中心で大した考察もなくお粗末でしたが、どなたかまた私たちのルートを廻るかもしれない方がたまたまいて、たまたまググってきてくれたときにでも参考にしていただければ幸いです。
フランクフルト ストライキ
フランクフルト ストライキ


実はフランクフルトからヴュルツブルグへ往く際、鉄道がストライキに入っていました。鉄道組合が賃金や職場待遇の改善のために行うようです。実際は長距離のICE等を除いた各駅停車の間引き運転で、旅行にはさして影響はなかったのが幸い。

駅にはストライキで突如キャンセルになる電車に乗れなかった乗客たちが、あちこちに彷徨っていました。とくにドイツ語がわからない場合、かなりきついと思います。でも、ざわついたりはしなくて、暴動になりそうな予感も感じません。中国じゃ大混乱なところ。

しかし、ストライキでイメージが悪くなるといけないので、バイトの学生か職員の子供たちでしょうか、駅構内でかごに入れたジュースを配っていました。(その日は土曜日)「ストライキで迷惑かけてごめんね、鉄道会社が悪いのよ、だから応援してね」って感じでいい笑顔してました。しかし、以前NHKで放送された清掃業者のストライキのおかげで、溜まったゴミが何週間にわたり放置されていて、市民も困っているという番組を見たことがある。後始末のいいストライキってのもさじ加減が微妙ですね。
欧州はもともと階級社会で、貴族、平民、聖職者のクラスがはっきりしていたので、共産主義の階級闘争なんてのはまさしく目の前に見える現実だったわけで。労働組合やストライキがこうも身近なのもなんか考えさせられます。
今読んでいる本「肉食の思想」は、まさに自分の頭を整理するのに適している秀逸な本でお勧めです。
日本でストライキってありましたっけ?どこかの国はストライキの連発で閉口しているようですが。中国でのストライキってでも聞かないですね。
まあ、無事乗れて安心、したのでした。



実はフランクフルトからヴュルツブルグへ往く際、鉄道がストライキに入っていました。鉄道組合が賃金や職場待遇の改善のために行うようです。実際は長距離のICE等を除いた各駅停車の間引き運転で、旅行にはさして影響はなかったのが幸い。

駅にはストライキで突如キャンセルになる電車に乗れなかった乗客たちが、あちこちに彷徨っていました。とくにドイツ語がわからない場合、かなりきついと思います。でも、ざわついたりはしなくて、暴動になりそうな予感も感じません。中国じゃ大混乱なところ。

しかし、ストライキでイメージが悪くなるといけないので、バイトの学生か職員の子供たちでしょうか、駅構内でかごに入れたジュースを配っていました。(その日は土曜日)「ストライキで迷惑かけてごめんね、鉄道会社が悪いのよ、だから応援してね」って感じでいい笑顔してました。しかし、以前NHKで放送された清掃業者のストライキのおかげで、溜まったゴミが何週間にわたり放置されていて、市民も困っているという番組を見たことがある。後始末のいいストライキってのもさじ加減が微妙ですね。
欧州はもともと階級社会で、貴族、平民、聖職者のクラスがはっきりしていたので、共産主義の階級闘争なんてのはまさしく目の前に見える現実だったわけで。労働組合やストライキがこうも身近なのもなんか考えさせられます。
今読んでいる本「肉食の思想」は、まさに自分の頭を整理するのに適している秀逸な本でお勧めです。
日本でストライキってありましたっけ?どこかの国はストライキの連発で閉口しているようですが。中国でのストライキってでも聞かないですね。
まあ、無事乗れて安心、したのでした。

農民対司教の象徴でもあるこの橋を渡ると、マリエンベルク要塞へ。



紅葉が始まっている緑の敷地内を登る。







その血なまぐさい歴史からはほど遠い穏やかな要塞内。唯一、かつての囚人を閉じ込める塔が、当時の雰囲気を醸し出していた。こちらの塔は鍵型の構造になっていて、塔上部に閉じ込められたら飛び降りない限り脱出できない構造だ。



危険標識
(落書きしたのは私達ではありません。)
落書前

落書後

フランクフルトへ帰るヴュルツブルグ駅にて

こちら、駅の階段側にはなんと荷物用のエスカレーターが併設されている。(人を運ぶエスカレーターはない)これをおもしろがって撮っていたら、後ろの方から英語で「We are Stupid German Boys!」との叫び声が。写真を撮って欲しかったみたいで、撮ってあげました。

現代の若者の明るさや従順さと、別に佇む史跡(大聖堂や要塞)の暗部とのコントラストがちょっと不気味だったり、冬の厳しさを思うとちょっと憂鬱になるかもしれない。フランダースの犬の最終回は、こんな教会で終わりだったような。
しかし一方でヴュルツブルクは、完成度の高い街でした。ちょっと住んでみたくもなる...といつもの癖が出てしまいました。



紅葉が始まっている緑の敷地内を登る。







。参照宗教改革の時代、ルターの影響を受けた農民達は抑圧に対抗するために立ち上がった。これが1524〜25の農民戦争。この中心になったのがヴュルツブルク一帯。司教は農民が迫ってくるのを見て逃げ出す。この時、市の参事会員の1人にティルマン・リーメンシュナイダーがいた。このドイツの彫刻家はヴュルツブルクの市民権を得ている。ロマンティック街道の北半分全域で素晴らしい作品を残している。逃げ出した司教は市参事に、農民に対して断固として抵抗せよと言い残していたが、リーメンシュナイダーらは農民の側に立った。やがて農民戦争は、司教や諸侯の巻き返しで農民側の敗北に終わる。リーメンシュナイダーは捕えられ、拷問を受け、釈放されたが2度と作品は彫らなかった
その血なまぐさい歴史からはほど遠い穏やかな要塞内。唯一、かつての囚人を閉じ込める塔が、当時の雰囲気を醸し出していた。こちらの塔は鍵型の構造になっていて、塔上部に閉じ込められたら飛び降りない限り脱出できない構造だ。



危険標識
(落書きしたのは私達ではありません。)
落書前

落書後

フランクフルトへ帰るヴュルツブルグ駅にて

こちら、駅の階段側にはなんと荷物用のエスカレーターが併設されている。(人を運ぶエスカレーターはない)これをおもしろがって撮っていたら、後ろの方から英語で「We are Stupid German Boys!」との叫び声が。写真を撮って欲しかったみたいで、撮ってあげました。

現代の若者の明るさや従順さと、別に佇む史跡(大聖堂や要塞)の暗部とのコントラストがちょっと不気味だったり、冬の厳しさを思うとちょっと憂鬱になるかもしれない。フランダースの犬の最終回は、こんな教会で終わりだったような。
しかし一方でヴュルツブルクは、完成度の高い街でした。ちょっと住んでみたくもなる...といつもの癖が出てしまいました。
さて、ヴュルツブルグの街を巡る。


ドイツ在住者にはおなじみらしい、「Nord See」(北洋)魚を扱ったお惣菜屋です。寿司を扱っていますが、試していません。今思えば食べてみてもよかったかな。


こちらは旧市庁舎。つまりドイツの農民戦争の際、扇動者としてレッテルを貼られ、歴史からいったん姿を消す「ティルマン・リーメンシュナイダー」もこちらで仕事をしていたわけで。歩いて5分ほどで、4大聖堂のDomに着きます。

旧市庁舎の日時計


マリエンベルク要塞へつづく...


ドイツ在住者にはおなじみらしい、「Nord See」(北洋)魚を扱ったお惣菜屋です。寿司を扱っていますが、試していません。今思えば食べてみてもよかったかな。


こちらは旧市庁舎。つまりドイツの農民戦争の際、扇動者としてレッテルを貼られ、歴史からいったん姿を消す「ティルマン・リーメンシュナイダー」もこちらで仕事をしていたわけで。歩いて5分ほどで、4大聖堂のDomに着きます。

旧市庁舎の日時計


マリエンベルク要塞へつづく...
ヴュルツブルグ 世界遺産レジデンツへ

市章、実は上の写真にある女性像が持っている槍の先の旗をかたどっています。




レジデンツ内の庭園は、無料で開放されています。
庭園内は非常にきれいに手入れされていました。また散策コースとしても、おすすめです。




天気もすこぶるよく、ばしばしと写真を取りました。一日300枚のペースで取ったその日の夜には持参したMacに落として、ウェッブギャラリーにて公開。ブロードバンドになってからとくに便利になりました。一日300枚という数を妻の兄が聞いたときは「アホか!?」と突っ込まれましたが。
やたら写真を撮っているアジア人に興味を示したのか、ドイツ人の女の子三人が来て募金を頼みにきました。始めはドイツ語をべらべら喋られたのですが、わからないといったらちょっと躊躇しながらも英語で喋り始めました。

この3人組は二手に分かれて、庭園内を募金箱を持って巡っていました。募金すると「Danke!」(ありがとう!)と刻印された木製クリップをくれます。土曜日だったので授業の一環?それとも教会の活動の一環だったのでしょう。


うちの妻は、ドイツ人のこの年齢で英語をしゃべろうとする子は珍しいそうです。ドイツ自体が英語に依存しない経済で成り立っているからでしょう、一般生活で必要としないのです。もちろんホテルのスタッフは、英語だけではなくほかの欧州言語も話せます。ドイツ語もイタリア語も英語もフランス語もすべて操っていた人を見たときは驚きましたが。
欧州ほどの陸続きな文化の活発な交流は、アジアのそれとは違うように思えました。
アジアでは私たちが中国語、韓国語、ベトナム語、タイ語、マレーシア語などなどを覚えても、結局は英語を話さざるを得ない状況です。

市章、実は上の写真にある女性像が持っている槍の先の旗をかたどっています。




レジデンツ内の庭園は、無料で開放されています。
庭園内は非常にきれいに手入れされていました。また散策コースとしても、おすすめです。




天気もすこぶるよく、ばしばしと写真を取りました。一日300枚のペースで取ったその日の夜には持参したMacに落として、ウェッブギャラリーにて公開。ブロードバンドになってからとくに便利になりました。一日300枚という数を妻の兄が聞いたときは「アホか!?」と突っ込まれましたが。
やたら写真を撮っているアジア人に興味を示したのか、ドイツ人の女の子三人が来て募金を頼みにきました。始めはドイツ語をべらべら喋られたのですが、わからないといったらちょっと躊躇しながらも英語で喋り始めました。

この3人組は二手に分かれて、庭園内を募金箱を持って巡っていました。募金すると「Danke!」(ありがとう!)と刻印された木製クリップをくれます。土曜日だったので授業の一環?それとも教会の活動の一環だったのでしょう。


うちの妻は、ドイツ人のこの年齢で英語をしゃべろうとする子は珍しいそうです。ドイツ自体が英語に依存しない経済で成り立っているからでしょう、一般生活で必要としないのです。もちろんホテルのスタッフは、英語だけではなくほかの欧州言語も話せます。ドイツ語もイタリア語も英語もフランス語もすべて操っていた人を見たときは驚きましたが。
欧州ほどの陸続きな文化の活発な交流は、アジアのそれとは違うように思えました。
アジアでは私たちが中国語、韓国語、ベトナム語、タイ語、マレーシア語などなどを覚えても、結局は英語を話さざるを得ない状況です。
ハコという靴屋さん

露天

ベロタクシー

駐輪

旧宅へ向かう
今回フランクフルトに来た理由の一つとして、妻の旧宅や通学路をもう一度訪れることがありました。フランクフルトのバンホフから、Uバーンに乗って30分ぐらいでしょうか。Uバーンとはドイツの地下鉄です。チケットはイタリアと同じく距離制ではなく時間制です。


改札がないんです
ドイツの面白いところは、改札がないところ。
時間制なのでチケットを買ったら時に打刻され、それから起算して90分間有効。最大有効期限が1日間、つまり一日乗車券です。それぞれの期間内なら乗り降り自由です。

正直チケットを買っていなくても公共機関を使えます。しかし、ときどき来る検査の人に捕まると、エラい額の罰金の支払いが命じられます。ドイツ人にはいい訳は通用しません。
この制度は完全に性善説に成り立っています。法律があり、規則があり、それを守る国民と、違反した場合の処罰執行能力、法のもとに於ける平等の待遇、それが「改札がない」駅を実現させているのです。改札がないというのは、意外にすごいものでかなりの手間を省けます。
手動の開閉ドア

そしてこれ。地下鉄の扉は駅に着いても閉まったままです。中央の緑のボタンを押すとドアが開きます。降りる人、乗る人ともにいない場合はドアは開きません。妻がいうにはドイツは冬かなり寒いので、開けっ放しは熱量の無駄。(ドイツの10月始めで12℃、今は5℃です)
これも、市民が規則をつくり、守り、犯したときの罰則の執行で成り立っています。
標識あれこれ
標識
「注意!」

標識
「緑のときに渡れ、子供の規範たれ」(おそらく、信号無視して渡る「大人たち」に警告?)

標識
「信号待ち」

こういった信号のあるところは決して大きい通りではないのですけど、皆さん信号を守ります。車道の青は運転手にとって、絶対的に青であるのです。(多分飛び出しもあると思いますが)そして、車道の車はかなりのスピードで駆け抜けます。
きっちり仕切るところがドイツ流です。また、その方が日本人から見ても合理的でスムーズな感覚でなじむはずです。上海のまたアジアの適当な信号規則とはエラい違いです。上海では青信号だろうが、赤信号だろうがいつでもとにかく注意です...
そのほかに、あさ雪掻きしないで近隣に迷惑をかけてはいけない、とか夜10時以降はシャワーを浴びてはいけない(騒音が出るため)とか..確かに静かです。

森の中の街
また、シュバルツバルト(黒い森)はここではないですが、フランクフルトでさえどこへ行っても森・森・森です。街の中の森ではなく、森の中の街です。土の匂いと葉っぱが擦れて葉液をだしている匂い、おもわず深呼吸したくなる空気でいっぱいです。



そして、旧宅に無事到着。思いっきり懐かしい気分を味わったみたいです。クリスマスシーズンはまだ先ですが、10月にはもうクリスマスの飾りや、庭先のドワーフなど売り始めます。


露天

ベロタクシー

駐輪

旧宅へ向かう
今回フランクフルトに来た理由の一つとして、妻の旧宅や通学路をもう一度訪れることがありました。フランクフルトのバンホフから、Uバーンに乗って30分ぐらいでしょうか。Uバーンとはドイツの地下鉄です。チケットはイタリアと同じく距離制ではなく時間制です。


改札がないんです
ドイツの面白いところは、改札がないところ。
時間制なのでチケットを買ったら時に打刻され、それから起算して90分間有効。最大有効期限が1日間、つまり一日乗車券です。それぞれの期間内なら乗り降り自由です。

正直チケットを買っていなくても公共機関を使えます。しかし、ときどき来る検査の人に捕まると、エラい額の罰金の支払いが命じられます。ドイツ人にはいい訳は通用しません。
この制度は完全に性善説に成り立っています。法律があり、規則があり、それを守る国民と、違反した場合の処罰執行能力、法のもとに於ける平等の待遇、それが「改札がない」駅を実現させているのです。改札がないというのは、意外にすごいものでかなりの手間を省けます。
手動の開閉ドア

そしてこれ。地下鉄の扉は駅に着いても閉まったままです。中央の緑のボタンを押すとドアが開きます。降りる人、乗る人ともにいない場合はドアは開きません。妻がいうにはドイツは冬かなり寒いので、開けっ放しは熱量の無駄。(ドイツの10月始めで12℃、今は5℃です)
これも、市民が規則をつくり、守り、犯したときの罰則の執行で成り立っています。
標識あれこれ
標識
「注意!」

標識
「緑のときに渡れ、子供の規範たれ」(おそらく、信号無視して渡る「大人たち」に警告?)

標識
「信号待ち」

こういった信号のあるところは決して大きい通りではないのですけど、皆さん信号を守ります。車道の青は運転手にとって、絶対的に青であるのです。(多分飛び出しもあると思いますが)そして、車道の車はかなりのスピードで駆け抜けます。
きっちり仕切るところがドイツ流です。また、その方が日本人から見ても合理的でスムーズな感覚でなじむはずです。上海のまたアジアの適当な信号規則とはエラい違いです。上海では青信号だろうが、赤信号だろうがいつでもとにかく注意です...
そのほかに、あさ雪掻きしないで近隣に迷惑をかけてはいけない、とか夜10時以降はシャワーを浴びてはいけない(騒音が出るため)とか..確かに静かです。

森の中の街
また、シュバルツバルト(黒い森)はここではないですが、フランクフルトでさえどこへ行っても森・森・森です。街の中の森ではなく、森の中の街です。土の匂いと葉っぱが擦れて葉液をだしている匂い、おもわず深呼吸したくなる空気でいっぱいです。



そして、旧宅に無事到着。思いっきり懐かしい気分を味わったみたいです。クリスマスシーズンはまだ先ですが、10月にはもうクリスマスの飾りや、庭先のドワーフなど売り始めます。

一週間のイタリア滞在もおわり、一路ドイツ、フランクフルトへ。

フランクフルトは2日間の滞在で、ミュンヘンのビール祭りも行きたかったのですが時間がなくあえなく断念。今のフランクフルトの気温は5℃、私たちがいた10月初はちょうど12℃ぐらいだったので、ビールどころの気分ではなかったと思います。
空港から市内へはSバーンという電車が定期的に出ているので、それに乗り込んで森・森・森をかき分けること30分ほどでフランクフルト中央駅(ハウプトバンホフ)に到着します。


人種の差
電車内は、きれい、静か、乗客も上背のあるドイツ人たちがたくさん。おそらくドイツが一番日本人に、外国ということで変化を強いる圧力が一番低い場所かも知れません。異文化を楽しむものにとっては一つ楽しみが奪われたことになりますが、日本以外でもこういう国もあるんだって発見が、自分にとっては新鮮だった。
ただ自分は180cmあるのですが、ドイツではたいしたことないです。上を見る機会が増えたのでおかげで姿勢がよくなりました。それと自分がゲルマン系人種ではない、という意識が常にありました。長居するとこれに嫌気がさす日本人も多いそうです。中国ではそういう感じはあまりしません。中国ではともすれば、日本人の祖先は中国人だ、ぐらいのことまで言われるのですが。
私たちは、駅でもよくトルコ系の人に道を聞かれたり、電車の発着状況を聞かれたりしました。ドイツ人に聞くのは勇気が要ります。
まず、ドイツ人現地人があまり英語を話せない。それとドイツ人はシャイです。トルコ系やらアジア系に親切になれるほど、馴れ馴れしくもないのかもしれません。ナポリとは大違いです。
フランクフルト中央駅
妻は15年ほど前にフランクフルトに住んでいたわけですが、その頃のフランクフルト中央駅(ハウプトバンホフ)といえば、危険地帯、ぜったい用もないのに行ってはいけない場所だったそうです。今はこんなにきれいで、安全です。
駅構内

駅内ホットドック屋

ベンツタクシー

BASF広告

駅正面


どのくらい危険だったかというと、この駅の入口には薬漬けになった若者が倒れていたり、ゴミ箱に注射が落ちていたりとか、また駅前の一本通りが怪しい通りだったというのもあり...当時は1990あたりでドイツの壁が崩壊したばかり、ソ連の解体で冷戦がおわりという世相。
いま、中国が一国二制度という状態を続けていますが、かなり歪んだ構造です。が、ドイツもかなり歪んでいたわけで、それを強制したエネルギーというのは相当なものだったと思います。この歪みを強制するための負荷がどこかからかかってくるとしたら、ことの正否はともかく動き出すことでしょう。動き出したあともイバラの道ですが。

フランクフルトは2日間の滞在で、ミュンヘンのビール祭りも行きたかったのですが時間がなくあえなく断念。今のフランクフルトの気温は5℃、私たちがいた10月初はちょうど12℃ぐらいだったので、ビールどころの気分ではなかったと思います。
空港から市内へはSバーンという電車が定期的に出ているので、それに乗り込んで森・森・森をかき分けること30分ほどでフランクフルト中央駅(ハウプトバンホフ)に到着します。


人種の差
電車内は、きれい、静か、乗客も上背のあるドイツ人たちがたくさん。おそらくドイツが一番日本人に、外国ということで変化を強いる圧力が一番低い場所かも知れません。異文化を楽しむものにとっては一つ楽しみが奪われたことになりますが、日本以外でもこういう国もあるんだって発見が、自分にとっては新鮮だった。
ただ自分は180cmあるのですが、ドイツではたいしたことないです。上を見る機会が増えたのでおかげで姿勢がよくなりました。それと自分がゲルマン系人種ではない、という意識が常にありました。長居するとこれに嫌気がさす日本人も多いそうです。中国ではそういう感じはあまりしません。中国ではともすれば、日本人の祖先は中国人だ、ぐらいのことまで言われるのですが。
私たちは、駅でもよくトルコ系の人に道を聞かれたり、電車の発着状況を聞かれたりしました。ドイツ人に聞くのは勇気が要ります。
まず、ドイツ人現地人があまり英語を話せない。それとドイツ人はシャイです。トルコ系やらアジア系に親切になれるほど、馴れ馴れしくもないのかもしれません。ナポリとは大違いです。
フランクフルト中央駅
妻は15年ほど前にフランクフルトに住んでいたわけですが、その頃のフランクフルト中央駅(ハウプトバンホフ)といえば、危険地帯、ぜったい用もないのに行ってはいけない場所だったそうです。今はこんなにきれいで、安全です。
駅構内

駅内ホットドック屋

ベンツタクシー

BASF広告

駅正面


どのくらい危険だったかというと、この駅の入口には薬漬けになった若者が倒れていたり、ゴミ箱に注射が落ちていたりとか、また駅前の一本通りが怪しい通りだったというのもあり...当時は1990あたりでドイツの壁が崩壊したばかり、ソ連の解体で冷戦がおわりという世相。
いま、中国が一国二制度という状態を続けていますが、かなり歪んだ構造です。が、ドイツもかなり歪んでいたわけで、それを強制したエネルギーというのは相当なものだったと思います。この歪みを強制するための負荷がどこかからかかってくるとしたら、ことの正否はともかく動き出すことでしょう。動き出したあともイバラの道ですが。















