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成都いいとこ10 開発の裏

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文殊院東出口の側には、この一帯の再開発に反対する人々の足跡が残されていました。ズームしてみると以下のように書かれています。

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中国では言論の自由はありますが、それなりの覚悟が必要です。黒墨で塗りつぶされても、抵抗する人はおりますが、塗りつぶされれば塗りつぶされるほど、その意味は深く訴えてきます。見方によっては芸術作品。


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こちらは先ほどの壁の続き部分。

また、この塀の向かい側は「文殊坊」で再開発された街並になっていますが、不動産の持ち主がシンセンの不動産開発業者の名前が貼ってありました。再開発で勝つ組と負ける組というのが存在するようです。シンセンの不動産バブルもはじけて、開発が止まるのかもしれません。

そういえば私が住んでいた頃、文殊院一体の住民が強制立ち退きに反対して、人民南路で示威行動で道端に座り込みはじめたことがありました。警察に追い返されて終わってしまいましたが、実は文殊坊の建設で強制立ち退きを強いられる人たちだったのです。


ただ、強制立ち退きで補償金をごねるとか、法律に則っていないだとか双方言い分もありますが、つくづく公開の場でそれぞれの発言権を認めて、公正な判断を行う社会っていうのは大事だなぁと思います。



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こちらは文殊坊裏の「一般家庭」の住まい。ものすごく汚いです。ベランダのところを注視してみるとわかると思いますが、木の枠を貼付けて「古風なデザイン」を演出しています。文殊坊の一歩裏通りが油臭い汚い通りでは面子が立ちませんし。この即席さには舌を巻きます。

かつて諸葛亮孔明が一夜にして堅固な城を造る秘策として、土塁に水をかけ夜間の冷気で氷の城を造ったアイディアを彷彿させます。(褒め過ぎか?)

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その背後には超高層のビルが。その足下には、日本人マキさんとシンガポール人のシムさんが開いた青年旅館があったのですが、残念ながら今は場所を移動しております。文殊院、文殊坊の開発の煽りでしょう。土地代が高くなりますから。

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バックパッカーが成都に泊まるのはここか、龍堂、もしくは交通飯店。

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左の部屋は旅行カウンターもかねて、マキさんが身重でも頑張っていらっしゃった姿が思い浮かびます。ラサ行きの旅行者が多かった。

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開店当初はなかったバーカウンター、夜にはここで旅行者たちの情報交換が行われていて楽しい雰囲気でした。

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現在はやや北の好友多がある橋を渡った1.5km先に移動した模様。
Sim's Cozy Guesthouse改めSim's Cozy Garden hostel
(みてて懐かしい気分になりました)





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帰りは成都空港にある回るセンス溢れるパンダ時計を記念に。
(これもずーと変わっていない、私にとってある意味成都を離れる度にみる象徴的風景)



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成都いいとこ9 文殊院

旧正月元旦には「文殊坊」をとおり、「文殊院」へ。前日、入場券とお線香は買っていたのでスムーズに入ることができました。日頃は向日葵の種を食べながら新聞を読んだり、麻雀をしたりする市民の憩いの場でしたが、今日は人の浪。


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文殊院の行列

こんなに人が来る寺院も珍しいかもしれません。私の記憶では寺院内に4階建ての塔があり、そこで夏の暑い日差しを避けるように、木陰に隠れながら四川緑茶「碧螺春」「竹葉青」を啜ったものです。また、記憶がやや曖昧ですが、「ワイルドスワン」という伝記でも登場したかと思います。本を読んでいるとまた面白いですね。

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御利益祈願のかたち

成都で過ごした4年間のうち、全て成都で春節を過ごしています。成都の住人たちは春節は家族、親戚一同が集まって食事をしますが、三ヶ日は親戚同士でどこかへドライブに出かけたり、レストランをはしごしたり、日頃行かない場所へ皆で出かけます。

文殊院も日頃は来ない市民たちも退去して押しかけ2008年の御利益祈願にきます。以下はそれらの一部を写真に収めました。親子連れが多いですね。成都の人々の雰囲気が伝わるかな。

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私は実家が神奈川なのでよく大晦日の夜中に鎌倉街道を自転車で走り、鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝したものです。当時はお神酒目当てに境内で行列に混じり、屋台で売られているりんご飴を食べながらカウントダウンをしました。

明け方は鎌倉の海岸で初日の出をみて...それとは違いますが成都で過ごした春節はちょっとホッとさせるものがありました。

成都いいとこ8 廟会文殊坊

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パンダ基地からの帰りに仕入れた情報。文殊院という仏教のお寺の周辺が、最近再開発されてきれいになったとのこと。むかしは文殊院の周りは線香や葬儀代行とか、ややもすれば陰気くさい雰囲気を醸し出していたエリア。それが、一部のマンションの窓際がハリボテで覆われているだけでしたが、全体的にはきれいに整備されて、あらたに「文殊坊」となり多くの人を集めているようです。

しかも、今晩は、中国農暦の大晦日ということで夕方から足を運びました。

たくさんの屋台ブースが並んでいて、むかし懐かしい雰囲気です。出店の人たちも日本のような縄張りがどうのこうのというお兄さんたちの経営でなく、全国各地からあつまった人たち。(成都在住の外地人かもしれません。)

今回は屋台のものは食べなかったですが、とても明るくて楽しい雰囲気です。

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深海イカ焼き 
イカの足を鉄板でジュウジュウ焼きます。それに山椒やクミン、唐辛子の粉をつけて食べます。


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長沙臭豆腐
長沙とは湖南省の省都で毛沢東の故郷。毛沢東が大好きだった臭豆腐を売っています。(汚物の匂いがしますが、匂いだけですので食べれます。)店員は60年代の人民軍のコスプレです。


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黒砂糖飴
後ろの方で飴を叩いて伸ばしています。6年前、成都にきたときは街角でよく見た「丁丁糖」という飴を杭に巻きつけてひっぱたりねじ曲げたりして飴の弾力をつけるパフォーマンスをよく見ましたが、最近は見かけなくなりました。


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たこ焼きとフライパン焼き
フライパン焼きは豪快ですが、作りおきばかりを売るので油べとべとであまり美味しくありませんでした。となりのたこ焼き手前のプレート上にたくさんの「唐辛子の粉」、それと刷毛。どうやって食べるのでしょう。


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こちらは何でも扱っていますが、手前あるのは兎の頭です。成都在住者は食べたこともあるでしょう。私は個人的に「五香味」がすきです。それとアヒルの下顎そのままもすきです。



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すっかり日も暮れたので、隣の文殊院の入場券と線香を買ってからホテルに帰還しました。
次の日、旧正月元旦は文殊院にお参りです。

つづく




成都いいとこ7

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成都の伊藤洋華堂は、むかし1元で売られていたアンパンを食べるためだけに来たこともある。今は味千らーめんもあれば、ヤマザキパンもある。が、当時、そんなものはなく、このアンパンがどれほど私の心を慰めてくれたことか。(言い過ぎか?)昔は納豆を取り扱っていたこともあるようだが、当時は成都に住んでいる日本人があまりにも少なすぎた。日本人が100名以下。でも、昆明は10名程度だったし、麗江は2人だったことを考えればかなりましだった、と当時は思っていたのだろう。


それ以来、ローカル色一杯で週末も平日も満員御礼だった。伊藤洋華堂がそれでもよかったのは、エスカレーターがいちいち遠回りしないで済む設計だったのもある。カルフールなどはわざわざ顧客にぐるぐる売り場を回らせて、飲み物を買うだけでもわざわざ3階までのぼり会計を済ませなければいけないから、面倒だった。

今回いくと地下一階に「ビアードパパ」というシュークリーム屋ができていて驚いた。上海では毎日行列ができているおいしいシュークリーム屋なのだが、ここでは閑古鳥...なのにも驚いた。所変われば嗜好も変わるようだ。

隣の伊勢丹は昔は日本人が経営するバーだった、邱永漢関係なのだが。そこの店長は結構挑戦者で当時成都ではありえないパフォーマンスを始めたり、公安の人たちの所場代せびりにも対応したり、随分頑張られていた。「超級女声」(中国版素人カラオケ大会)の2代目準優勝者で実力No1の張靚穎もこのバーで流しで歌を歌っていたのだ。英語の歌が特に巧かった。


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そとにでるとすぐある成都名物の「鍋魁」、これが旨くて安い。成都に着いたばかりのときは辛いながらもまだ優しい味付けのこの「鍋魁」をよく食べた。マフィンのようなパンに、辛い具を選んで挟む成都版バーガーだ。





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こちらは昔懐かしい、アメリカ領事館路の日本料理屋。店長は日本人で、その昔北京で行われたNHKのど自慢に参加した。そのとき歌ったのは背広屋の方で、店長と家具店の総経理がパンダの着ぐるみを来て、バックダンスを踊っていたのだ。しかも合格。いまその様子がYouTubeに...ないと思うが、そのうちNHKも古い映像Archiveを公開するらしいので、近い将来もう一度見ることができるだろう。





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こちらもアメリカ領事館路、昔はここに、火鍋の有名どころや、釜焼きのピザ屋とか韓国焼肉屋とかたくさん集まっていたのだが、今回いったらすべて更地になってしまっていた。ここには冬の寒い日に火鍋をよく食べにきた。あわれ、内装は木目の温かい造りで好きだった。なにか風化してしまった万里の長城をみた気分に...

で、たまたまタクシーの運ちゃんに聞いたところ、もともと政府が再開発する用地だったはずが計画が頓挫してしまった。そのすきに個人が勝手に服屋やら飯屋を始めてしまい、客が客を呼び一大飲食街になってしまったようだ。わたしがよく来ていた頃のそれらの店は不法占拠して、勝手に営業していたようなものだったらしい。

私が去ったのち、しばらくしてこちらが全て更地になり、残っているのはアメリカ領事館だけ。中国人の逞しさをこういうところでもみれるのです。


成都いいとこ6

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成都の中心、「天府広場」に相も変わらずそびえ立つ毛沢東像。

中国全土でもこの像がある都市は珍しいそうです。聞いたところによると、昔は成都の城壁がここにあったのが80年代に取り壊されて、その後この像が建てられたようです。

この像の後ろは旧政府機関の建物、もうしばらくすると移転するとのこと。そして、予定ではスタジアムを撤去し、その敷地を車侵入禁止の広場にする。あと5年もすれば、またすっかり違った景観になっているのだろうな。





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こちらは成都の買物天国「春煕路」の中心にある孫文の銅像。椅子に座っています。背後には「天下為公」という文字が。その後ろにはハーゲンダッツの店。その後ろの建物には味千らーめんが。この背後には伊藤洋崋堂が。

ここも10年前は掘建て小屋の露店が連なっていた舗装もされていないゴチャゴチャした小径だった。映画館も古い建物の中にあって、個室がいくつか、ドアはなくカーテンで仕切り、ソファは穴が空いてくたびれた革張り。放映されていたのは、VCD(CDに映像情報もいれたいわゆるDVDの劣化版)を放映。家でみるのと大して変わらない画質だった。


掘建て小屋の露店で思い出したが、10年前にここで旅行者たちと食事したあと下痢で一週間、身動きができなかった。ベチャベチャの御飯を食べたときヤバいなと思っていたのだが、たぶん生まれて初めて下痢で死にかけたと思う。



中国の下痢は細菌性で、正露丸よりも地元の薬が一番効くことがその後わかりました。ハルピン産の「泄痢停」(xièlìtíng)という錠剤がかなり効きます。しかし、薬局のひと曰く、

善玉菌も悪玉菌も何もかも殺傷してしまうため、効くには効くのですが回復するまでお粥や、刺激物の少ないもので徐々にならしていく必要がある


ようです。30分後には確実に下痢がおさまりますので、最後の手段として一家に一つ用意しておくことをお勧めします。





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こちらは現在の露店で食べた成都名物です。蒟蒻みたいな「粉絲」を酸っぱ辛いスープで食べます。日本の人には受けないでしょうが、妻は辛いのが好きで大変気に入っておりました。また、カロリーがないので辛くて痩せるという理由で女性に人気。成都で生きていくにはこの辛さに慣れる必要がありますので、その点、妻は合格です。





成都いいとこ5

青羊宮

「道教」の総本山「青城山」は成都から車で90分、「青羊宮」はその道教のいわば在成都出張所。

髪を伸ばしまくった道士が普通にいます。チケット売る道士、チケット切る道士、掃除する道士、お茶汲みする道士。かれらは別にパフォーマンスではなく、修行の一環でここにいるのだと思います。俗世を知るために。妻は「射雕英雄伝」内にでてくる黄蓉(演:周迅)のお父さんをイメージしています。(参照


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ここは、青羊宮の中でお茶を飲んだり、麻雀やポーカーをする憩いの場です。ちなみに青羊宮内では、お客さんは「客人」とは呼ばずに「居士」と呼ばれています。年配の方はフリーパスをもらっているはずで、入場料も10元そこらでなので観光地とはまた違った趣です。







成都スタジアム

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こちらにはけっこうな思い出が。まず、成都にあるサッカーチーム、「成都五牛」に、元ベルディ川崎の藤吉信次さんが移籍された際、在成都の日本人会で応援しにいった場所。藤吉さんも気さくな方で、応援団の私たちと一緒に食事にでてきてくれたりしました。


言葉もしゃべれず社会や生活のルールも違う成都で、苦労したことでしょう。で、当の本人藤吉さんは...けっこう楽しんでいらっしゃいました。



それから、香港台湾歌手がよくきてはコンサートを開いていました。周傑倫孫燕姿などのレベルの有名人は単独コンンサートですが、ほかは詰め合わせセットのように、5人一組みたいな感じで悲しげです。

孫燕姿のコンサートのときは学生がなかなか離れず、「我愛燕姿」とか「愛姿病」と書いたプラカードを持って夜中の12時過ぎまで行進していましたが、隣接するホテルで宿泊していた人たちには大迷惑だったでしょう。

最後はホテルの総支配人が、「おまえら何時だと思っているんだー!とっとと失せろ!」とマジで一喝してお開きとなりました。本気で誰か叱らないと調子に乗りますからね、若い子は。李玟さんのコンサートのときは、興奮した聴衆が駐車してあった車に乗っかって、車を数台むちゃくちゃに凹ましてしまいましたし、伊藤洋華堂襲撃事件のときは、ほとんどの若い衆がノリでガラス蹴やぶったりしてましたからね。



ちなみに「愛姿病」(孫燕姿大好き病)、「艾兹病」(エイズ)どちらも発音は「ài zī bìng」というのにかけています。今のところは不治の病...不謹慎ながら言葉をつくるのは巧いなぁ...


今となっては懐かしい思い出です。

成都いいとこ4

妻のたっての願いでパンダ基地へ。

しかも農暦の大晦日。もしかして営業していないのではないかと心配していましたが、中国では正月は出歩くため、人が集まったりするところは逆に開店しているとのこと。掻きいれどきということか。入口の門をくぐると、さっそく直立歩行なパンダのお出迎え。

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そして、しばらく歩くとお約束、変な日本語看板の登場。一体歓迎されているのか、いないのか、出鼻を挫く案内板だなぁ。

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そのあとは茶色いパンダくんたちを見物。笹をもしゃもしゃ食べています。

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このパンダは寝ているのですが、右足のかけ具合、首あたりの肉が秀逸

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このパンダは木の切り株にちょこんと座っています。木こりが一服、休憩しているかのよう。

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ものを投げたりする人たちはいなかったのですが、監視員が棒の先に林檎を吊るして、パンダをおちょくっていること15分。周囲の子供もやりたがっていました。国宝も数がありすぎるとこのような待遇になってしまいました。

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パンダよ、君も林檎に釣られ過ぎだ。

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実際、パンダはウヨウヨいますし、小パンダもガラス越しですがものすごく愛嬌のある動作を、これでもかと見せてくれます。観光客はほとんどが日本人・香港人でした。成都にきたらぜひきたいスポットです。

車は貸し切りで1時間60元、参観も含めて往復3時間を目安にしておけば十分楽しめます。パンダの抱っこは一人1000元ということで、止めときました。昔は250元ぐらいだったのになぁ。


「臥龍」というパンダの生息地にも研究施設があるのですが、「パンダのハーレム」と呼ばれるくらい、パンダだらけで抱っこするのも500元で抱っこし放題。しかし、天気も天気、車で往復8時間もあるところにはさすがに行けませんでした。




成都はいいとこ3

成都二日目は近所を散歩。

何も変哲のない街並、お正月休みでこれから出店の集まるお寺に出かけるのか、子供三人組。そのに貼られている「対聯」には、「太実在 稀飯干飯茫茫 肥肉痩肉嘎嘎」と書かれていました。なんて意味でしょう?


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こちらはお世話してあげた公安。(公安のお世話にはなっていません、念のため)

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お世話したというのも、この辺りは外国人が多く、よく外国人がこの公安局に来たとき、公安員は外国語がしゃべれないので、通訳するために呼び出されたりしました。

よく覚えているのは、オランダ人夫妻がこの公安局に来たとき。私は通訳してと呼び出され話を聞くと、かなり複雑な話がまっていた。このオランダ人夫婦は里親制度に登録していて、ある孤児の里親になるよう依頼されたのが8年前。

彼らは中国人の養子を二人預かった。その孤児は今は小学生くらいに成長しているが、実際はこの交番に8年前に届けられた孤児だった。道端に置かれているこの2人を成都の人が拾い交番に届けたが、交番自体は迷子扱いで処理しキリスト教が運営する孤児院に送られた。そののち、当オランダ人夫妻の登録する里親組織につながり、彼らがかわりに養うことになった。

今回、かれらがこの交番にきたのは、当時の資料を調べて、当時この二人を拾ってくれた方を探し、当時の状況から本当の親につながる何かを調べるためだった。もし、その人につながれば何かしら展開があるかもしれない。ひょっとして届けた人が実は出産した後育てられる自信がなく、捨て子扱いしたかもしれない。ひょっとして、捨てられていたこの辺り近辺に住んでいる人の子供かもしれない。そんな期待を抱いて、この交番にはるばるオランダからきたのだ。

私は彼らの成都旅行の理由を公安局の人に訳して話した。翌日、彼らは調査の結果、捨て子の記録はあるがそれらの資料は全て孤児院に渡して、自分らの手もとにはないという。

その夫妻はそれ以上は聞かなかった。滞在もあと3日だったので、ちょっとしたルーツ探求の旅をこの黒髪の東洋人養子二人にさせたかったのかもしれない。仮に実際に肉親が見つかって、「じゃ、お返し致します」ってなことには簡単にはならないわけだし。





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夫婦はコーカソイド系の金髪、本当の息子娘も完全にヨーロッパ人。養子二人はみため完全なる東洋人であったが、中国語は一切話せない。このままオランダに帰ったほうがいいと、わたしも心の中では思っていた。


この二人が成長して大人になったとき、再び中国を訪れるだろう。その時は自分たちでどのように生きていくのか、自分たちで決断していくのだろう。



で、なんで私はこんなこと手伝っていたんだろう?


胆嚢炎 在中国の方は要注意の病気

中国の山奥にまで検品をしにいく女のBlog > なんだか重いんですが・・のエントリに、そういえば...と思い出して書きました。

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中国にいるとかかる病気

中国に8年もいると、体がおかしくなってくる。私の場合、異常な量の油摂取が原因で「胆嚢炎」にかかり、成都の病院で1ヶ月間の入院を余儀なくされた。その後、全身麻酔の手術で炎症の原因である「胆嚢」を摘出し、無事退院した。


一ヶ月を余儀なくされたとあるが、炎症を抑えてから手術にはいるというのは半分本当で、半分建前である。実際は会社が医療費を負担するとわかってから、病院側はより長く入院してもらいし、バンバン薬を使ってもらいたいがためにそうなったのである。ずっとベットで安静に、といわれたので、しまいには3週間目あたりからは床ずれでお尻が痛くなってきた。ちなみに、アメリカでは胆嚢摘出手術は「One Day Trip」といわれている日帰り手術の部類だそうだ。




中国の病院はこわい

点滴の液体を換える看護婦は新米で、針の打ち方を間違えたり、抗体反応がでているにもかかわらず新薬を点滴して、私が化学的吐き気を催し慌てて点滴を外す騒ぎもあった。

それと入院した成都第3病院は、騾螞市八宝街という場所にある。病院の前には必ず見舞いのための露店の花屋や果物屋があり、見舞いの人のための弁当屋もでている。救急車で担ぎ込まれた病棟は、旧病棟でエレーベーターのボタンが人々の手の油でギトギトになっている薄暗い場所で、これじゃいかんと翌日新病等に入れてもらった。

最初の見舞いで来ていただいた日本人の方で、懇意にしてもらっているN氏は、最初間違って旧病棟にはいってしまい、「こんなところじゃ、病気じゃない人も病気になりそうだ」と言っていた。

それ以降、何人かお見舞いにきてくれたのだが、成都に駐在している日本人はやはり胆石が怖いらしく、私に具合を良く聞いてきた。実際にウェッブ上からプリントアウトして胆石のメカニズムを紹介したページを持ってきてくれた方も居た。感謝感激である。

一ヶ月の入院の後、お願いしてやっと手術してもらえたのだが、掛かった費用全てひっくるめて計12,000元。(20万程度)会社の保険でどうにかなりました。手術台に乗っかっているときに聞いたのですが、他にも日本人でここで胆嚢炎を取った方がいるとのこと。伊藤洋華堂の方。





変な訪問者、病院はセキュリティをどうにかすべき

私が居たときは保険屋の女の子がやってきて「100元で保険を買えば、即適用ですよ。」と言ってきた。(たぶん病気に対するものではなく、薬購入のための保険か)こういうものは、病気になってから初めて買うものなんですか?即物的な考えだし、掛け金がみみっちい。でも、一般の中国の人の保険に対する概念はそんなものだ。身を守るのは自分だし、稼ぐだけ稼ぐのが安全への近道なのだから。

また、別に日には成都近郊からはるばる来た新聞記者で、勝手に私の病室に入ってきていきなり、「お前は日本人か」と聞いてくるので、「おまえこそ何者だ。名を名乗れ。」と私は言った。彼は一応新聞記者だといったが、名前はいわなかった。その記者は私の名前を聞いて帰っていった。翌日、私が小さい記事だが新聞に載っていた事を会社のスタッフから聞いた。私は記事になるような事は一切話していないのだが、記事はこうして作られるのかなとも思った。

またおしゃべり好きの見舞いの方が、いろんな病室に入ってはどこそこの誰々は何の病気でどうたらこうたらとか、情報を仕入れてきては暇な時間を持て余す。そして、この病室の病原菌をあの病室へ、自分が病原菌の媒介をしているともつゆ知らず。個室でこれですから、大部屋だとどうなることやら。




お陰で胆嚢について詳しくなった

話の席で何度も言う機会が増えるので、胆嚢に詳しくなってしまった。通常は年配の方がなる病気らしく、実際病棟で入院している方は年配の方ばかり。自分が胆嚢炎で入院したと聞くと「若いのにね。」とよくいわれた。

私の胆嚢炎は、胆嚢内の胆石に油起源のゴムみたいなものがへばりつき、それが胆汁を絞り出す際、胆管の圧迫し炎症を起こして痛みが走るものだった。この「油起源」ときいたとき、過去の何年間か喜んで「油条」や「油餅」を朝飯に食べていた自分を責めた。でも、中国に住んでいては避けれませんな。

またよくこの話を日本人にすると、「中国で手術したの!」と驚かれるが、わたしが手術したその日は計8人もの人が胆嚢を摘出した。脂っこいものばかり食べている人々なので、場数はきっと中国のほうが多いだろう。

また、「胆砂」という、砂上に散りばめられた胆石のほうがもっと厄介で、手術で摘出できない分、超音波や、薬で俗にいう「散らす」という治療法しかない。私は手術で摘出してそれっきり。また、胆汁自体は、脂肪分やアルコールの消化を手助けするのだが、食物が入ってきたとき収縮して胆汁を出す仕組みだ。私の場合、胆嚢という胆汁の貯蔵庫がなくなってしまったので、「必要なときに足りなく、必要じゃないときでも垂れ流し」という状態になってしまった。

故に、胆嚢摘出者は脂っこいものやアルコール分は取らないように、体の負担になると忠告された。が、実際は普通に飲んだり食べたりできる。ちょっとお腹が痛くなるか、お通じが良くなる。結果、もともと太らない体質が、より太らない体質に。こうかくと女性たちが「私も胆嚢とろう」と冗談目かしくいうのだが、正直胆汁の匂いが尿に含まれて臭い。これだけが欠点だ。


あまり話が長くなりそうなのでとりあえずここまで。胆嚢炎が発症したときは真夜中で、背中に尖った鈍器がずっと刺さったままとれない、ような痛みがありました。思い当たる節がある方はメールください。


胆嚢

胆嚢は肝臓で分泌される胆汁を蓄積して濃縮し、食物が十二指腸に入ると、物理的刺激によりコレシストキニン (CCK) が分泌され、これが胆嚢を刺激して胆汁を放出する。


http://www.weblio.jp/content/胆嚢

胆汁

胆汁は1日に約600ml分泌される。胆汁酸と胆汁色素を含み、前者は界面活性剤として食物中の脂肪を乳化して細かい粒とし、リパーゼと反応しやすくすることで脂肪の消化吸収に重要な役割を果たすが、消化酵素は含まれない。


http://www.weblio.jp/content/胆汁



5つのF

胆石症の増加するリスクで伝統的に考えられた次の5つのFに当てはまる人々である:
Female(女性)
Fat(肥満)
Fair(コーカサス人種、ただし近年の研究では議論されている)
Forty(中年)
Fertile(妊娠で危険は増加する)



成都いいとこ 2

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夜8時開始の「川劇」を観に加州大酒店内3Fの「順興老茶館」へ。ビルの中なのに内装が凝っています。一番前の席を取ったのですが、どこから観ても大差はないです。




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隣接しているレストランで腹ごしらえ。妻のたっての願いで「麻婆豆腐」を注文。絶対に食べきれない量ですが、せっかく来たのですから味わってもらうことにしました。

成都在住の方にはわかると思うのですが、甲府商工会議所の事務所がある西玉龍街に「陳麻婆豆腐本店」があり、昔これまた10年前にたべてあまりの黒さに、豆腐の上だけ食べた記憶があります。その後、また成都で仕事をすることになり、何度も食べることになります。成都の人たちが敢えて食べているのはあまり見ませんでした。日本で有名になりすぎたのかな。


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そして、川劇の舞台。手を使った影絵は以前見たときのように感動したのですが、机まわしは上海雑技団のもの。(おそらく修行して帰ってきた方か)、また主催者側のおばさんが手品をし始めました。以前なかったのですが、これが問題。

どういう手品かというと、観客から百元札を一枚募り、それを手品で10枚ほどに増やすというもの。手品で増やしたあと、その観客に本物の紙幣か確認してもらうため舞台まで上がってもらうのですが、その観客が増やされた紙幣を確認したあと、悪乗りでもともと提供した自分の紙幣以外に、2枚ほど持って帰って返す返さないだののやりとりになり、かな~りしらけた空気に。







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お面が変わっていく川劇は大好きで、そのものの題名の中国映画がまた最高の出来ばえ。時間があれば、一度ご覧になる事をお勧めします。自分が気に入っているのはお面がかわり最後演者の素顔が出るとき、それと子供にお面を触らせる瞬間、パッとお面を変えて驚かせるときとか。


でも、上海でも接待でも何回も見ているので、自分は「滾燈」というハゲ親父が奥さんに命令されて蝋燭を頭の上に載せながら椅子や机の下をグルグル、くねくね這いずり回る芸が気に入っていたのが、今回はありませんでした。

昔はあたかも成都で育った子供のように、この伝統芸が楽しくて楽しくて、廟会(お祭り)で出し物があれば見に行ったり、ホリディインの裏手にある社会学習センターで川劇学習会を参観しにいったりしたほどでしたが、今回のは残念ながら全体的に質がかなり落ちたなー、という感想です。




いまは上海の日本料理やでもこのお面が変わる演目がみれる時代。昔は後継者にも密室で伝承する技だった、香港のスター「アンディ・ラウ」も弟子になりたいと再三お願いしても断られる伝統芸能だったのに、商業化で引っ張りだこになるうち、芸者の大量生産か、本物の伝統芸能者は他の劇場に引っこ抜かれたのかもしれません。それか、春節間際でただ休んでいるだけだからかもしれません。


それもそれで仕方ないと思いますが、成都を離れてもう2年が過ぎたのだなぁという感慨が、自分の中でより浮き彫りになりました。





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***お知らせ***      4月より東京勤務になりました。上海へは出張ベースで。

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