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フランクフルトは2日間の滞在で、ミュンヘンのビール祭りも行きたかったのですが時間がなくあえなく断念。今のフランクフルトの気温は5℃、私たちがいた10月初はちょうど12℃ぐらいだったので、ビールどころの気分ではなかったと思います。
空港から市内へはSバーンという電車が定期的に出ているので、それに乗り込んで森・森・森をかき分けること30分ほどでフランクフルト中央駅(ハウプトバンホフ)に到着します。


人種の差
電車内は、きれい、静か、乗客も上背のあるドイツ人たちがたくさん。おそらくドイツが一番日本人に、外国ということで変化を強いる圧力が一番低い場所かも知れません。異文化を楽しむものにとっては一つ楽しみが奪われたことになりますが、日本以外でもこういう国もあるんだって発見が、自分にとっては新鮮だった。
ただ自分は180cmあるのですが、ドイツではたいしたことないです。上を見る機会が増えたのでおかげで姿勢がよくなりました。それと自分がゲルマン系人種ではない、という意識が常にありました。長居するとこれに嫌気がさす日本人も多いそうです。中国ではそういう感じはあまりしません。中国ではともすれば、日本人の祖先は中国人だ、ぐらいのことまで言われるのですが。
私たちは、駅でもよくトルコ系の人に道を聞かれたり、電車の発着状況を聞かれたりしました。ドイツ人に聞くのは勇気が要ります。
まず、ドイツ人現地人があまり英語を話せない。それとドイツ人はシャイです。トルコ系やらアジア系に親切になれるほど、馴れ馴れしくもないのかもしれません。ナポリとは大違いです。
フランクフルト中央駅
妻は15年ほど前にフランクフルトに住んでいたわけですが、その頃のフランクフルト中央駅(ハウプトバンホフ)といえば、危険地帯、ぜったい用もないのに行ってはいけない場所だったそうです。今はこんなにきれいで、安全です。
駅構内

駅内ホットドック屋

ベンツタクシー

BASF広告

駅正面


どのくらい危険だったかというと、この駅の入口には薬漬けになった若者が倒れていたり、ゴミ箱に注射が落ちていたりとか、また駅前の一本通りが怪しい通りだったというのもあり...当時は1990あたりでドイツの壁が崩壊したばかり、ソ連の解体で冷戦がおわりという世相。
いま、中国が一国二制度という状態を続けていますが、かなり歪んだ構造です。が、ドイツもかなり歪んでいたわけで、それを強制したエネルギーというのは相当なものだったと思います。この歪みを強制するための負荷がどこかからかかってくるとしたら、ことの正否はともかく動き出すことでしょう。動き出したあともイバラの道ですが。
スペイン統治時代の17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築された。以後、ブルボン家を始めとするナポリ王の宮殿として使用された。




実際、私たちはフニコラーレに時間を取られて、夕暮れが始まっている閉館30分前に着いた。翌日は定休日なのでもう参観する時間はないと途方に暮れていたが、駄目元でいまから参観できるか片言のイタリア語で聞いてみた。 「明日、行く、ローマ、今日、見たい、いい?」
警備員は 「だったら見てけ!はやく!あと30分で閉まるよ!」
とかなり親切にして招き入れてくれた。受付のお姉さんも閉館手続きを済ませて、帰宅する準備をしていたのか、二人分の入場チケットをただでくれた。いい加減な管理だといえば聞こえが悪いが、融通が利くとでもいっておくべきか。
入口


王宮は世界遺産に登録されており、荘厳な建築が見るものを圧倒する。ナポレオンの座った椅子やトルコ人の侵攻、社交界のダンスフロア、ロココ調の壁装飾など、ごてごて美術が当時の華やかさを彷彿とさせる。





王宮の側はすぐ市民の広場で、民宿やレストランがある。自分の家から歩いて3分で着く世界遺産というのも素晴らしい。それもかつての栄華を保存している王宮ともなれば、ナポリ市民の誇りなのではないだろうか。イタリア北部から田舎者と称されたときのナポリ人は、きっと王宮を盾に己のアイデンティティを支えるのではなかろうかと。
撮影歓迎?
イタリアの博物館は、カメラ撮影に関しては何も言ってこない。撮影禁止のマークすらない。ドイツとは正反対だ。警備員はいるのだが、観光客が写真を撮っていても一向に気にする様子がない。この王宮でも写真は撮り放題だった。
次回はやっとドイツ編

ポンペイからナポリに帰りその日の午後、チェントラーレ線でヴォメロの丘へ。
騒がしいトレド通り、王宮側のフニコラーレ駅から出発。地元の住人たちに混ざっていく。
トレド通り

フニコラーレ駅前

フニコラーレ駅構内

乗り降りを守らないのは上海ではよくありますが。

ヴォメロの丘・サン・テルモ城
サン・テルモ城(Catle de Sant'Elmo)はナポリの町を見下ろすヴェメロの丘の上に建つ。アンジュ家により1275年頃、初期の城郭が建築され、その後、アンジュ家により拡張された。16世紀には、スペイン人がナポリを支配するところになり、星型の近代城郭へと改修された。
頂上に到着すると、そこはまた丘の麓の街とはひと味違った様相。人々がゆったりとしているし、ゴミゴミしていないし、静かだ。古い建物はあるものの大部分は歴史建築とは無縁の住宅街であった。
なるほど、丘の上は新興住宅地で麓の街と繋ぐためのフニコラーレか。



てっきり観光地なのかと思いきや、偶然見つけた住宅街でナポリではめずらしい静寂を味わった。丘の見晴し台にいくため道案内の地図を見ていたらイタリア語で指差し説明してくれるおばあちゃんや、おなじく展望台に向かうようなバイク二人乗りのカップル、和む張り紙や、道の壁には小さな十字架と花。


日は沈みかけており、この静かな住宅街。ナポリに住むならここぐらいがいい。
お城跡の展望台は夕方の6時で閉まるが、ギリギリ間に合う。360°展望できる隠れ観光スポットではないでしょうか。ナポリのすべてが見えます。その割には、ほとんど観光客がおりませんでした。





そこからサンタルチア港を望む。

きっとここを訪れる人は頭の中に「あの曲」が流れていることでしょう。ナポリに来て天気がよかったら絶対来ることをお勧めしたいスポットです。

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index.html
青空文庫とは
利用に対価を求めない、インターネット電子図書館です。
著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストと XHTML(一部は HTML)形式でそろえています。
青空テキストダウンロード手順例:

こちらで「作家別」のら行をクリック。
「魯迅」クリックした後、閲覧可能な作品がリスト表示される

「阿Q正伝」をクリック

すると、作品の説明とともにダウンロード項目へ、テキスト形式をクリック

圧縮ファイルZIP形式のファイルがダウンロードされるので、さらにダブルクリック

ZIPファイルが解凍されてaqseiden.txtというテキストファイルが現われる

「BlueSkyReader」閲覧アプリケーションダウンロード手順:
さて、このテキストファイルには「阿Q正伝」が入っているのだが、これを読むフリーの専門アプリケーションがある。お勧めリーダーソフトは「BlueSkyReader」。
ダウンロードしたBlueSkyReaderを起動し、先ほどダウンロードしたaqseiden.txtファイルをドラッグ&ドロップして開くとこんな感じ。

めが痛くなるので背景色変更。欲を言えば、もう少し文庫本チックな紙質を演出してほしい。


なかなか使い勝手がよい「しおり」機能。読んだページで左に赤線が退かれる。表示メニューに「しおりへ移動」を選べばしおりマークをつけたページへ移動。実際に本を読んでいる動作と似た感覚を再現。


文字サイズも変更可能 (表示メニューからもしくはコマンドTで調節スライダーが右側に出現)

ダウンロードはこちらから。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA019952/
使用方法はこちら。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA019952/screen.htm
ポンペイ(ラテン語:Pompeii、イタリア語:Pompei)は、1世紀までナポリ近郊にあった都市国家。ヴェスヴィオ火山の大噴火により、79年に壊滅した。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。その遺跡は世界遺産になっている。
末期はローマの属国となり、ローマ人の余暇地として栄えた。最盛期の人口は約2万人といわれる。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の大多数はローマなどに逃げたが、助からなかった市民も多くいた。
町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きは、当時のラテン語をそのまま伝える。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。ポンペイは確かに当時とても活気のある都市だった。
爆発時、町の人口は1万人弱で、ローマ人(ローマ市の住民)の別荘も多くあり、また、彼ら向けのサービスも多くあった。Macellum(大きな食物市場)、Pistrinum(製粉所)、Thermopolia(冷たいものや熱いものなどさまざまな飲料を提供したバー)、cauporioe(小さなレストラン)、円形劇場など。
また現代のポンペイは人口25,751人のイタリア共和国カンパニア州ナポリ県のコムーネの一つであり、その中心部は古代遺跡とは少し離れている。
妻がかつてローマ文学を専攻していたこともありポンペイを訪れることに。
基本的に歴史的に保存が必要な貴重な文物はすべてナポリ市内の博物館に移管されているとのこと。ここで見れるものは当時の街の建築及び景観そして生活様式です。またの天気に恵まれ青い空のもと、ポンペイの街を散策。
ベスヴィオ火山を望む

アテナ神殿跡

劇場跡

広場跡

闘技場跡


大浴場跡(男湯と女湯に分かれていた)

釜焼き(パン屋?)

見た目はグロテスクだが、実際は火山灰に埋まった人の体が横たわっていた空間が空洞になっており、そこに石膏を流し込み型取りした人物。当時の火山灰が降ってきたときのシーンを彷彿とさせる。自分の脳内で2000年前の出来事を想像するスイッチを刺激する展示だ。

修学旅行?

また、ポンペイ遺跡敷地内で葡萄畑があった。説明書きによると古代のポンペイで葡萄を栽培していたことを再現するための実験場兼展示だそうだ。葡萄の品種は古代のものかは知らないが、この展示も想像するよう刺激する憎い演出だ。こちらの葡萄生産会社はプレートにも描かれている、興味のある方はこちらへ



こちらは闘技場跡の入り口にある標識。ラテン語らしいが読めない。

また、ポンペイの旧邸宅内を参観している時、わたしが床のモザイク模様をやたらに撮影していたら、あるイギリス人の年配の男性から声をかけられた。かれは敷地内のフレスコ画を指差し、そのフレスコ画の由来について、いろいろと説明をしてくれた。しばらくすると、そのイギリス人男性の奥さんが来て、ギリシア神話に由来するものだという解説を付け加えてくれた。このイギリス人老夫妻の男性は学者風だが、年齢からなのか、言葉がなかなか出てこないので、奥さんが言い換えるように毎回同じ内容を丁寧に説明してくれるのだった。
鏡に映っている自分に惚れ込む男の絵。
左扉上

このフレスコ画の男の名前はナルキッソス(Narcissos)は、ギリシア神話に登場する美少年の名。ある日ナルキッソスが水面を見ると、中に美しい美少年がいた。もちろんそれはナルキッソス本人だった。ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死んだ。ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシスと呼ぶ。また、ナルシ(シ)スト(ナルシシズム)という語の語源でもある。(参照)
私はこの老夫婦にローマのポンペイで、なぜギリシア神話のフレスコ画があるのか、質問してみた。
その老人は「ローマの誇るものはエンジニアリングであって、哲学や文化の分野に於いてはギリシア文明のコピーにすぎない。古代ローマの人々はあいかわらずギリシア文明に憧れていた。」とのこと。うちの妻もその点はわかっていたらしく、よく大学教授がローマ文学を説明するにあたり、まずギリシア文学から学ばないと始まらない、と言っていたそうな。それが、ポンペイにギリシア神話のフレスコ画がある所以である。
たしかにローマの建築は秀逸だが、題材はギリシア神話である。水道橋をつくり都市のインフラを整えたのも卓越した建築技術だ。ギリシアは文系で、ローマは理系という感じか。こういう事前知識があると、旅は更に面白くなるものだ。
ナポリ ソレントから帰る

およそ30分ほどで見えてくる。




接岸。


このMETROMAREは20分に一本の割合で出ているので、すごく便利。ソレントの他ナポリやアマルフィなどにも定期便が出ているし、船上の風も気持ちいい。この地区での足は「船」に限る。
ソレントの港は断崖の下にあり、街はその断崖を登らねばならない。歩いても登れるが、1 EUROで運行しているバスに乗れる。
断崖上はヴィットリアホテル 断崖上下を往来するホテル専用のエレベーターがある。

バス

左のボックスで切符(ビリエッティ)を購入。この頃になると妻もイタリア語を駆使してチケットを買えるようになる。頼もしい限りだ。
断崖沿いに登る

断崖上から

街




街はきれいで落ち着いた雰囲気。馬車もあるし、店の店員が穏やか。やはり柑橘系の果物と多く売られているのと、なぜか唐辛子が。ペペロンチーノのためにつかうのか?


雑貨店のオリーブ


革製品も売っていたがそれがソレントの名産らしい。牛革だったのだがどこから牛が来るのか?
ちなみに牛肉をイタリア語で「manzo」というのだが、よくメニューで見かけた。その牛の皮がここで加工されていると推測するのは...安直か。
今回の旅で遭遇した新婚カップル3組目。

時間の流れはナポリよりも更にゆるやかだ。ナポリで働いている人だったら、ここで週末2連泊するのも悪くはない。船でも電車でも往来は可能だが、私たちはナポリへ帰る手段として電車を選んだ。



一時間に1本の超ローカル線。
地元の不良少年達、アフリカ系の移民たち、そしてポンペイ駅を通過する頃にはすっかり日も沈んだ各駅停車でめぐるソレントのしめくくり。とくに見所はないのだが、アジアにいない、しかも観光地ではないことを意識した時間であり、なぜか鮮明に覚えている。
案外こういうなんでもない時間の方が印象深いものだ。


1時間かかってナポリへ。ナポリ駅でもやっぱり野良犬発見。犬ばかりとっているのは、犬がたくさんいるからなのです。


太陽がまぶしい...

カプリ島には二つの頂上があるが、フニコラーレで気軽に登れる方(上写真左嶺)へ。

このフニコラーレ(要は登山用ケーブルカー)、原作はナポリ近郊のヴェスヴィオス火山にできたフニコラーレの宣伝ソングとして作られたのが由来。フニクリ・フニクラと言う歌詞だが、日本では全く原作とは関係のない「鬼のパンツはいいパンツ〜」と言う歌詞でおなじみだ。
原作の歌詞の内容など詳しくはこちら
iPhotoのスライドショーでイタリア写真を眺めるとき、テーマソングとして流してます。実はパヴァロッティが歌っているバージョンをローマで買ってしまった自分..頭の中で「フニクリ・フニクラ」が念仏のように廻っています。
青い空と海、そして白い壁



絶壁

この地中海の代名詞のような文句にはずっとギリシアをイメージしていたが、ここカプリでもそれが当てはまる。地中海性気候はもともと降水量が少ない場所で、水はけのよい土地、しかも断崖絶壁ばかりのこのカプリ島では、レモンは採れるが正直...他に何もない。
山頂部街

路地

だからといって貧乏な地区というわけではなく、昔はナポリ王がこの島に住みついてしまったとか、いまでは欧州及び世界各国の富豪たちが別荘を建て「冬にバカンス」を過ごすところとして利用している。観光産業以外にも、採れたレモンをリキュールとして売ったり、香水ラボトリーを設置し、観光客に売ったりしている。値段もナポリより高い。着いた当初「ここで家かって住みたいね」と妻と話していたことも、今思えばかなり身分不相応なことだ。
別荘兼ホテル

香水ラボトリー

道路標識

犬 (よく犬が放し飼いにされているのも、ナポリ圏たる所以か)

カプリ島は非常にお勧めです。とくに地中海の風景に憧れる方には、2−3泊するのもいいでしょう。麓の海岸で泳いだり、ボートで島一周探索することもできます。

ポンペイへと続く
ナポリ いざカプリ島へ
乗る船はこちら。

ナポリ港

もともと、観光客がたくさん行くような場所は好まないたちなのだが、それだけの人々を魅了するにはそれなりのものがあるわけで、青の洞窟を目指すことに。洞窟へはまずカプリ島へ着いてすぐ別の小型のボートに乗り込む。
カプリ島波止場

METRO MARE

いざ出発

青の洞窟へ

青の洞窟へはカプリ島の波止場から更に15分ほど、洞窟の入り口はちょうど駅の改札をくぐるぐらいの大きさ。(実際の改札をくぐったことはありませんが...)そこによって入るためにはさらに超小型手漕ぎボートに乗り換えなければならない。ここでまた入洞料を取られる。
また、洞窟から出てきた際、手漕ぎボートから小型ボートに戻るのだが、その際にチップを請求してくる。2 EUROをコインで渡したらかなり不満顔なので、4 EUROほど渡した。何も知らない日本人は20 EURO (約200元)すら渡しかねない。おそらく日本人がカモられるのはこの景勝地だけではないが、チップを渡さないと小型ボートに戻してくれないという「暴力バー」のような...
これには同船したアメリカ人夫妻も閉口していた。再度ナポリをイタリアの基準にしてはならない、と確信。
順番待ち

いざ洞窟内へ

洞窟内へ差し込む太陽光が水面を青に映すので、午後や曇りの場合ここまで日が差し込んでこない。今回はちょうど正午で。



伝統的な欧州の街並は教会以上の高さをもつ建築の存在を許さないなかで、どうかいくぐったのかナポリで唯一高層のホテル。朝焼がきれいで、背面の丘もサンタルチア港も眺望できる。


最悪のナポリ・タクシー
駅前から乗ったタクシーはひどい。一回目は故意にメーターを下ろさないで15 EUROほどふっかけられた。二回目はメーターを倒しても下車時に細工したメーターで5 EUROほどふっかけられた。3日間の滞在中タクシーに乗ったのは2回だけ。
しかし、一般ドライバーたちは歩行者には道を譲るし、信号のない場所でも進んで停車し歩行者に信号を渡らせる場面に何度も出くわした。運転手は嫌々ではなく「渡りなよ」と余裕の目配せをしてくるので、この点は中国よりもまたむしろ日本よりも快い感じはある。
また昼間、ナポリ中央駅からサンタルチア港までの道は、昼間でも渋滞がひどく汚いが、夜中は更にひどい。各商店のシャッターも降り、スプレーで描かれた落書きが目立つ、野良犬もいるし照明も暗い。ゴミは集積されても何日も片付けられていない。



しかし人々は陽気
もちろん、すべての人が殺伐としているわけではない。オレンジを目の前で搾ってくれるおばさんも、バールの店員もやさしい。夜八時頃ではまだ賑やかな街で、綿菓子やらアイス売りやら街角オーケストラなどが見られた。娯楽がないからなのだろうか?
カフェ

アイス屋

綿菓子屋

ミニ路上オーケストラ

あの人もナポリ出身
日本で活躍するイタリア人代表、パンツェッタ・ジローラモ氏はナポリ出身。(パンツェッタが姓、ジローラモが名)いまはちょい悪親父のモデルとして活躍しているが、彼を見たイタリア人が、あれがイタリア人を代表していると思わないでくれ、といったとか。
初日、ローマ銀行に外貨両替に行った際、ロビーにいた職員が近づいてきて、いきなり握手を求めてきたので、握手してしまった。「何かようかい、兄弟」みたいな感じでちょっと退いたが、あう人あう人に握手をしている彼を見て、これが南イタリアか、と。
banck di roma

見知らぬ初対面の相手でも速効で仲よくする癖がいかにも怪しいが、仲よくなればとことん優しいところは、中国人(特に北方)にも通じる部分がある。ファミリー感覚か。対人関係では距離を置くイギリス人やドイツ人、もちろん日本人が慣れるかは疑問。
野良犬と昼寝
ナポリの王宮そばの広場についたのだが、子供がサッカーをしたり、家族連れで散歩しているなかに野良犬がごろごろ。狂犬病が心配。この街は一体のんびりしているのか、はたまた危険なのか、不思議な街だった。



しかし、ナポリは独特の歴史と、人々、そして文化を持っている。これを現代風に換えることは難しいだろうし、人々もそれを望まないかもしれない。たしかに、「ナポリを見て死ね」と言われるのは風光明媚なことについてであり、街や人がイタリアの代名詞になってはならないと感じた。ナポリファンには申し訳ないが。

途中古代ローマの水道橋が車窓から見えました。

ごとごと揺られること30分、フラスカティ (Frascati) という町に着きました。街というより町です。町について、あまりの人気のなさに少し不安に。


人がいるのだろうか?と訝りながら道沿いに上へ上へと上って行くと、結構拓けた広場に到着。日曜日だったこともあり、教会で集会が終わったあとでもありました。地元の人達の憩いの場でした。


さて、なぜこの町に来ることになったのか。実は伝え聞いたところによると、フラスカティにはなんと「ワイン」が湧出る噴水があるとのこと。さっそく噴水を調べると....残念、普通の水でした。


ただ、この町で入ったレストランが、今回の旅行中で最高の料理を提供してくれました。
また、同席したドイツ人の夫妻なのですが、フラスカティの魅力は「イタリアの気候」と「イタリアの料理」、そして「ローマにはない静寂」だそうです。
歴代の教皇が避暑地として訪れたことも納得。
また白ワインが有名とのことで頂きました、ハーフボトルをデキャンタに移して。
このレストランだけでもまた訪れたいですね。

そうそう、カラオケ好きの親父が下手なギターを弾いてきました。ドイツ人夫妻によると、このレストランにはいつも来て、ヘタなのにみんなの前で弾きたがる物好きな人だそうです。

同じ日の午後にはさらに電車でナポリへ
続く
これは簡単!今まで久光で売られている五花肉(脂身たくさん)をみて、どうやって角煮になるのだろうと気になっていたのだが、今日初めて挑戦。

クックパッド参照
手順は300ccほど水を鍋に、150ccの紹興酒を入れる(なければ料理酒でも可)
↓
五花肉をごろごろといれる
ショウガ薄切りをたくさん入れる
葱の小切りをごろごろいれる
↓
1時間ほど煮込む
↓
アク取り紙(余分な油を取る)を落として
↓
ゆで卵2個と大根のいちょう切りを入れる(適当)
↓
砂糖小さじ2杯を入れる、醤油50cc (あんまり真っ黒になるならもう少し減らす)
↓
また更に30分ほど煮込む 強火
↓
みりんをかける
↓
煮込み汁がなくなる寸前でストップ
↓
完成!
イタリアもドイツも水道水は普通に飲めるのだが、何となく味があるのでやはり外の水を買う。またレストランでは必ず飲み物を注文する。候補としては、一番安いのがミネラルウォーター、その次がジュースかビール、ワインは高い。昼間っからアルコールを飲める時以外は水がお勧め。
その水(acqua minerale)か炭酸水(gassata)を選択することになるが、私は断然炭酸水がいい。ただ、この炭酸水はビールやコーラほど気泡が強いわけでもなく味もついていないので、初めて飲む人は何ともいいようがない感覚だろう。(ちゃんとしたのは結構炭酸がきつい)
リストランテによっては750mlから売っているが、なにせ一見さんばかりの観光都市のご多分に漏れず、「1500mlの水しかない」とあるくせに無理矢理売りつけてくる。また、あやしい販売車のGELATTERIAやTABACCHIでは「水道水に炭酸足して詰め替えてんじゃないの?」と思うくらい、へなちょこパンチの炭酸水を売りつけてくることもあるので注意。



また、街角にちょくちょくある水も普通に冷たくて飲めるので、お腹壊すことに恐れない人は試してみるのもよし。間違っても噴水の水は飲まないように。

パスタは手で食べる?
始めはそうだった、と。物好きしかいかなそうな 「国立パスタ博物館」に行った際、展示されている13世紀の絵には、茹であがったばかりのパスタを手でつかみあげ、口へ落とし込む男-かなりみすぼらしいボロ服の農夫-が描かれていた。そんな絵ばかりだ。もちろん、いまのイタリア人はいまはフォークを使って食べます。スプーンは使いません。
リンク先にてそこでそれらの絵を閲覧できる。(bookshop>Images)主題としては心くすぐられるテーマの博物館だが、日本の展示のオタクぶりに比べるとこの国立パスタ博物館は、残念ながら期待ほどではなかった。
まず受付がパスタを食い過ぎ?のようなおばさまがイタリアで初めての無愛想ぶりで、入場料が10 EURO。これはミケランジェロの作品が展示されているヴァチカン美術館と同じだ。もう博物館とは名ばかりの展示館に寄付するつもりでないとやるせないだろう。そして、おもむろにMP3プレーヤーを渡されて、なぜか関西弁とも違うちょっと訛った女性による日本語のナレーションがついてくる。45分ほど。
さて、イタリア人がパスタ好きなのはよくわかった。日本人のうどんやそばといった感覚だろう。それとパスタ自体はジェノバやナポリで13世紀に確立されたそうだが、それ以降形状の改良、多様化、また産業革命期のパスタ製造機の機械化、自動化などわかる。きっと、パスタの普及とともに人口の増加とかグラフにできんだろうなぁ。日本だったら実演も交えてパスタ目の前で作らせて、昔のイタリア人みたいにできたてのパスタを手で食べるみたいな体験コース用意したりするだろう。
本場のパスタは日本より旨いか?
そうとも言えない。
下のカルボナーラは一件旨そうだが、使っている肉が「いわゆる」ベーコンとは若干違って、本場の酒漬け薫製肉をやや厚切りにしたものを使用している。高級そうで本場の雰囲気なのだが正直旨くない。
卵を溶くときに牛乳とクリームを入れるはずなのだが、クリームが入ってないようなのでソースに伸びがない。私が食べたカルボナーラとボンゴレは、日本の方が旨かった。茹で加減は上手。当然、店により千差万別だが現地人が入っているお店は総じて外れない、というのは定番だが、値段に応じて旨いかというとそうでもない。
カルボナーラ

最初に入った総菜屋風PIZZERIAは4種類ぐらい手帳サイズのピザを購入しても5EURO(800円)程度だったが、かなり美味しかった。
PIZERRIA

レストランのピザは最低でも7EURO(1200円)はするが、釜焼きであり、当然旨い。
PIZZA OSTERIAにて

肉系を頼むと12EURO(2000円)とられるが、お世辞にも褒めれないただ焼き肉が出てくることもある。以下はナポリの4ツ星で頼んだ牛肉スライスのタルタルソース。これは旨い。
RISTORANTEにて

牛肉のカルパッチョが好きなのだが、これも値段は同じでも店の格で盛りつけも、使っている肉も違う。これもナポリの店、9 EURO。
牛肉のカルパッチョ RISTORANTEにて

焼き茄子サラダ 7 EURO(1200円)OSTERIAにて


サラダには後方左に見える、ワインビネガーとオリーブオイルをざっと1-2周分かける。大体のイタリア料理店では自分でやる。上海のグルメブロガーが上海のイタリア料理店で、同じものを見た時「手抜きだ」と言っていたが、まあ勘違いです。
欧州人の食費感覚
イタリアの食費は高い。欧州が総じてそうだが、どこのレストランでも各食事で軽く100元は越える。(10 EURO)上海にいる欧州人がよく100元もするレストランにしょっちゅう利用するのも、イタリアやドイツで消費するのと比べればその食費に対する消費感覚もうなずける。
上海の肉まんなんてゴミみたいに安いだろうし、割としっかり内装できれいな食器を用いたレストランでもやはり安い。日本では、財布状況が厳しいなら、コンビニにいけば500円で事足りるだろうが、イタリアの駅前パニーニ屋のお持ち帰りパニーニでさえ一つ3 EURO だ。(500円)
ローマテルミニ駅地下一階「Mr. Panino」


パニーニはルフトハンザのドイツーローマ間の機内食でも出てものでもうまい。
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イタリアについて ローマ 2
切符は区間で売るのではなく、有効時間で売る。90分有効か、180分有効か、1日有効かなど選べる。有効期限が長い方が値段的にお得だが、それほど公共機関に乗って移動しない限り最低限の90分券でよろしい。始めは慣れなかったが使っているうちに結構便利に思えてくる。
ローマには2本A線とB線の地下鉄が走っているのだが、古いタイプのB線はひどかった。どこの国にもあるスプレーを使った落書きが車両にまんべんなく描かれていて「汚い」。A線はバチカンまで伸びる路線なので、それなりにきれいであった。上海で例え得るなら、1号線をもっと汚くしたものがB線。2号線から壁掛けTVを外したのがA線かな。ちょっと上海を見直した。

ローマ テルミニ地下鉄中央駅ホーム
オープンテラスであるの意義
ローマではオープンテラスのOSTORIAやTRATTORIAやCAFEがたくさんある。(それぞれややカジュアルなレストラン)高校生の頃、ある雑誌の中でブリュセルのオープンテラスのカフェの写真があり、それを見て「いつか経験してみたい」と思ったものだ。




さて、実際経験してわかったことは、店外の開けた空間でゆっくり食事を楽しむのもわかるし、青い空とさわやかな風があるときは確かに気分がいい。が、石畳で無理矢理並べた椅子や机のため傾いていることが多い、現地の人はあまり気にしてはいない。さいわい食事をしたところは道路に面していないため、汚い空気や埃が飛んでくる心配は要らないが、おおきな道路に面しているカフェテリアやレストランは店内で食べた方がよいでしょう。
また、似たようなお店ばかりで競争は激しいわりに特徴がないので「お客の入りが多いところが旨いはずだ」と通行人は判断する。それで、店の従業員がお客をオープンテラスに意図的に座らせようとするのだ。その方が店に客がいるということが歩行者にアピールでき、それが呼び水となって続くお客を引き入れる、という寸法だ。
その役割が各レストランにとって、一つの食事時間帯を征する鍵となる。だから、昼込んでいたところは夜込んでいるとは限らない。
実際店内は8席で照明もつけない、店外は15席でそこだけ満席、みたいな場所もある。店外の席しか見えなく一体どこで調理してるのか見えないカフェも。
発狂するイタリア人
イタリア人が日本にきて出勤するとしたら、必ず発狂するだろう。
というのも、私たちは観光で歩き回りすぎてしばしば食事の機会を逸することがあった折、大体午後の2時頃だったのだが、さてっと到着したお店はこんな感じで大繁盛。昼の2時ですよ、改めて。

店内も満席

近くのpizzeriaも「昼過ぎ」のサラリーマンでごった返す
満席状態は3時まで続きました。通りかかった友人に声をかけテーブルに加わらせることで、また注文が入る。いったいどんな仕事をしているのかわからない。このレストランの周りは労働省と財務省があるビジネス街なのだが...日本では12時から食事で45分には社に戻ってくるなんて、ローマ人だったら発狂しているに違いない。
エスプレッソを飲む適齢期
この本場のエスプレッソを頂くのが楽しみの一つでもあった。かなり苦い、酸味があるときも。昔学生の頃、初めてエスプレッソを頼んで出てきたのが「これだけ?」という記憶があるが、この苦さと濃厚具合からいってこの分量がちょうどいいかもしれない。眠気覚ましの薬だと思えてくる。
とはいえ、イタリア人はこれに砂糖を滝のように入れて飲むらしい。

この話は偶然知り合った在イタリアの日本人から聞いた話だ。彼女はスペイン広場そばの土産物屋で働いていた。 もうイタリアに住んで8年、彼氏がイタリア人とのこと。立ち話が盛り上がり、ちょっと突っ込んだことを2点、聴いてみた。そのうちの一つが「イタリア人の子供はいったい何歳からエスプレッソを飲み始めるのか」という質問だった。
これは日本人の子供がいつからわさびの味を嗜むようになるのか、に近い感覚で聴いた。しかし、彼女はイタリアに8年いるのだがコーヒーが飲めず紅茶はとのこと。それで別のイタリア人の女性店員に聞いてみると、彼女の中学生になる子供もコーヒーは飲めないらしい。
さすがにイタリアのBARでエスプレッソでしゃきっと気合入れする小学生中学生は見当たらないわけで、大人ぶる高校生あたりからだろうか、早いものでは中学生3年あたりからか。各学校にいる煙草をやり始める若者と似ているのだろう。
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今回、自分自身初めてのヨーロッパ旅行とのことで、純粋に旅行を楽しむと同時に、日本、中国、ヨーロッパの三点から感じることを立体的に捉えることも楽しみの一つであり、またそれ相応の収穫もありました。また天候にも恵まれそれぞれの国の最高の季節を楽しむことができました。
今回の旅はローマ4日間、ナポリ3日間、フランクフルト3日間の日程で進行。記憶が薄れてしまうまえに、感じたことを書き留めます。
ローマ
最強の観光都市
市内の至る所に世界遺産級の遺跡群が散りばめられているのはさすが。どこを歩いても旅行者の眼を飽きさせない。バチカン、サンタンジェロ城、ナヴォーナ広場、コロッセオ、カラカラ浴場、フォロロマーノ、トレビの泉、パンテオン、ポポロ広場...今回、特に美術館巡りをすっ飛ばしたもののそれでも4日間では見尽くすことができない。
遺跡の足かせ
上海のバンドも1920年代の旧建物をそのまま利用しているがローマのものは年代の古さも規模も桁違い。ローマの遺跡、旧建物を一つのアミューズメントパークに例えるなら、上海のそれは入り口付近の柵に過ぎない。それが故に、古い至高の芸術作品は街中至る所で楽しむことができるが、故に新しい建物も新しい肖像も目にすることはない。実際、現代芸術のポートレートを展示する催しがあったが、既にある歴史的芸術に圧倒されて、この街に似つかわしくない。
車両と歩行者どっちが先?
一番確認したかったのが、車両と歩行者の関係。中国では車両が歩行者より優先みたいな状況ですが、ローマでは歩行者優先でした。しかも、笑顔の目配せで「さぁ、渡りなさい」と道を譲られることが多々あった。やっぱり中国が異常。これはナポリでもフランクフルトでもそうだった。キリスト教による弱者には手を差し伸べるみたいな伝統ですかね。日本はその点、非常に教育が行き届いている、宗教による倫理観念がなくとも。
コーヒーと煙草
あとBar (バール) と呼ばれるコーヒースタンドでは0.8EURO(約150円)でエスプレッソ一杯。大体はユニフォームを着用したかなりかっこいいバリスタが入れてくれるのだが、これぞイタリアって雰囲気でした。私はいまは禁煙してますが、このコーヒーを飲みながら煙草を吸えたらなかなか煙草が辞めれないでしょうね。それでかどうかは知りませんが、煙草の吸い殻が道ばたや地下鉄の換気口などに溜まっていました。日本だとついつい缶コーヒーのなかに吸い殻を入れられてしまいそれもそれで問題ですが、コンビニや自販機がないローマではこの煙草の吸い殻は捨て場所がない。携帯吸い殻入れも普及してない。景観的に減点。公共の場で(レストランを含む)煙草を吸うと罰金なので、イタリアの愛煙家は大変でしょうね。
アフリカとトルコ
意外な印象ですが、アフリカ系と思われる路上で偽高級バッグや貴金属などを売っています。バチカンの大聖堂から美術館までだいたい毎朝観光客の長蛇の列ができるのですが、その列に並行してアフリカ人が立ち並んでそれらを売ろうとしています。かなり印象悪いです。
また、車店舗型のGELATERIA(ジェラート屋)やTABACCHI(雑貨、飲料水)、パニーニなどの軽食を売っているのがそこら中にあるのですが、衛生的によろしくないし店の店員が大体イタリア人には見えない。北アフリカかトルコ辺りから来ている人種だった。

バチカン大聖堂から美術館までの通り

GELATERIA
路駐問題
路駐がひどい。空港から初めてローマ市内に入ったときは真夜中だったが、道の3分の2は路駐で埋まっていた。しかも、路駐区域に線が引いてあるのでそういうものなのかと思いきや、車線区切りの植え込みにまで駐車されている。昼間に確認したところ、1時間1EUROと書いているので結構値段も高い。大きなパーキングスペースというものが造れないためだろうか。新しい建物を造ってはいけない、地下を掘れば遺跡が出てくる、仕方なく路駐を黙認。それがかえって景観を駄目にしているし交通もごちゃごちゃになる。

路駐 至る所がこんな感じかもっとひどい
その解決策としてか、二人乗りの乗用車Smartをよく見かける。これはかなり小さく可愛いが、太っちょの人が乗ると窮屈そうでした。会社の営業が走り回る程度ならこれでいいかもしれませんが。駐車時や税金等で優遇措置があるのかな。

二人乗りsmart
地下鉄へ続く...


























